ほっけじあと | ルート | 駐車場(10:20)〜法華寺跡(10:45/11:15) 〜伊香具坂神社(12:15) 〜與志漏神社(12:20/12:35)〜駐車場(12:50) |
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法華寺跡 | |||
地 域 | 25nn:近江川合/南西SW | 概要 法華寺は、神亀3年(726)に、行基が薬師如来を本尊として創建した己高山鶏足寺の別院です。草創期には、湖北仏教文化圏の中心寺院のひとつとして栄え、僧坊102宇の大寺院でした。その後、伝教大師が寺坊を修復して日光、月光菩薩をはじめ十二神将を刻して祀ったと伝えられています。宗派:法相宗から天台宗に転宗。小谷城主浅井氏三代の帰依も深く、豊臣秀吉や徳川家の庇護も受け、格式を誇っていたと伝えられています。また石田三成の「三献の茶」の逸話(山東:観音寺説もあります)でも知られています。さらに、三成が佐和山城主となった時、法華寺は祝儀として、佐和山城出丸の法華丸一棟を寄進しました。法華寺は、母の墓や、過去帳に三成、父の正継等の戒名が残っていたそうです。現在は廃寺となり、石段と石垣のみが残り、寺跡は伊波太伎(いわたき)神社となっています。 | |
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滋賀県木之本町古橋 | ||
標 高 | 247m/215m=32m | ||
距 離 | 約―km、斜度:max―゜ | ||
体力度 | ―P、Θ | ||
山行日 | 2015.11.22、(晴) | ||
形 態 | 日帰り、2名 | ||
時 間 | 所要02:30/歩行01:00 | ||
アクセス | 自家用車、01:00 | ||
備 考 | 特に支障なし |
![]() ↑オトチの岩窟/法華寺分岐↑ 2015.11.22、町民上げての茶会が催行 |
![]() ↑オトチの岩窟/法華寺分岐↑ 撮影:2010.11.16、標識が新しい |
![]() 法華寺分岐の南側、左側森に入ると古墳 |
![]() 道標:残念なから難読できず |
![]() 施環(せかん)の滝 詳細はこちらから |
![]() 林道の紅葉 |
![]() 滝上の紅葉 |
![]() 法華寺参道口 |
![]() 法華寺と石田三成の案内板 |
![]() 階段参道 |
法華寺跡 神亀元年(724年)行基が薬師如来を本尊と して創建 その後伝教大師(最澄)が寺坊を修復して 日光、月光菩薩をはじめ十二神将を刻して祀ったと伝えられています 興福寺文書によると、僧房百二宇衆徒五十口 とあり、当時の己高山惣山の院主を務めるなど 己高山七ケ寺の最有力寺院として小谷城主三代 の帰依深く また豊臣秀吉や徳川家康の庇護を受 け格式を誇っていたと伝えられています 三成が佐和山城主となった時、法華寺は祝儀として出丸の法華丸一棟を寄進しました 法華寺は 母の墓や、過去帳に三成、父の正継、兄正澄、その子の右近の戒名が残っていたそうです 境内には伊波太岐神社が建っているのみです 石垣や石段などが残り、かつて大きな寺院があったことを偲ばせます |
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![]() 階段参道の風情 |
![]() 階段参道の風情 |
![]() 参道の紅葉 |
![]() 三珠院の標柱 |
![]() 石垣 |
![]() 石垣上からの参道俯瞰 |
![]() 石垣の上に四阿、法華寺跡の案内板 |
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![]() 伊波太伎(いわたき)神社 |
![]() 鳥居神額「伊波太伎神社」 |
![]() 伊波太伎神社境内 |
![]() 伊波太伎神社の案内板 |
伊波太伎(いわたき)神社 創祀年代:不詳。祭神:保食神 式内社・伊波太岐神社に比定されている古社 境内は、行基が開いたという法華寺塔頭三珠院の跡に 明治の神仏分離によって廃寺とされた本堂跡に、本殿と境内社が鎮座しています 相殿に祀られている七所神社は、法華寺の鎮守権現社 開祖:行基の来訪を迎えた2人の翁(熊野、白山権現の化身)と、世代、横山、大音、大宮、二宮の 合わせて七権現を祀ったものらしく、江戸時代には「七所神社」と称しました 明治九年村社に列しています 境内には、境内社らしき石祠が一つ、また昭和初期まで境内社がありました 『式内社調査報告』には、秋葉神社、稲荷神社、高寵(たかおかみ)神社と記されています |
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![]() 社殿 |
![]() 境内社 |
![]() 参道(帰路) |
![]() 参道口近くにある蹲:湧水を受けています |
![]() 参道口(帰路) |
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![]() 丸山墓地入口 200mほど山中に入ったところ |
![]() 丸山墓地、撮影:2010.11.16 山中にあった墓石を地元の方が 整備 |
![]() 法華寺分岐(帰路) 高台の建物は己高庵 |
![]() 催行されていた茶席で 喫茶去 |
![]() 己高庵からの東側展望、中央森の中に法華寺 |
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