探訪記-静岡浜松
しょさん-ほうりんじ 概要 旗本近藤貞用が寛文4年(1664)に中国僧の独湛(どくたん)禅師を招いて開創した黄檗宗の寺院。本尊:釈迦三尊。数十人の雲水(修行僧)が禅を探究する黄檗禅の専門道場として栄え、中国明朝風様式で建てられた佛殿と方丈は、創建当時の面影を残し、数多くの諸仏を祀られています。また、叩くと澄んだ音が鳴る「金鳴石(きんめいせき)」は、金運上昇・商売繁盛の御利益(金のなる石)があると伝えられる不思議な石が人気です。
初山-宝林寺
地  域 22:気賀/南東W
Mapion 静岡県浜松市北区
山行日 2015.11.04、(晴)
金鳴石(きんめいせき)
独湛禅師が中国より持参されたと言い伝えられる摩訶不思議な石
叩くと澄んだ音が鳴ることから「金鳴石」と呼ばれ
商売繁盛の石「お金のなる石」、「宝くじの当たる石」としてお参りが絶えない
まず、龍文さまに願い事をして金鳴石を叩くとその願い事が叶う
(現地案内板) 
金名石
「龍文坊さま」のお話

今から300年ほど前、祝田村に神童と呼ばれる子供がいました。
その子供が、初代住職の独湛(どくたん)禅師とあううちに、住職の偉大さを知り
僧になることを決意、名を「龍文」と改め禅師の弟子になりました
その時代、寺には大勢の修行僧がいましたが
中でも龍文は非凡な才能を発揮し、禅師の補佐ができるまでになりました
ある夜、龍文は裏山に入ったきり帰っては来ることはありませんでした
その夜、初山宝林の総本山である萬福寺の庫裡やが火事になり
この時「初山の龍文」と名乗る僧が火を消したと伝えられています

この宝林寺が300年も厄災もなく続いたのは
龍文さまの守護あればこそと、昔の禅堂の跡に「龍文堂」を建てました
現在でも「火伏せ」、「家内安全」、「商売繁盛」の神として信仰されています
(現地案内板:いにしえのまちづくりの会)
「猿候杉(えんこうすぎ)」
樹齢:350年(推定)、樹高:20m、幹周:3m
独湛禅師御手植えの杉
主に茶花に用いられることの多い杉で、巨木は珍しいそうです
寄り添うように並んでいることから「夫婦杉」と親しまれ
宝林寺鎮守龍文坊大権現を祀る龍文堂の鳥居(結界)として
特異な存在感を示しています
(現地案内板:奥浜名湖観光連絡協議会) 
左から、阿弥陀如来・釈迦如来・大日如来・薬師如来・寶生如来
方丈左背面
方丈玄関扁額
方丈左側面縁側
仏殿山号扁額「宝林禅寺」
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
龍王堂前の手水鉢
屋根瓦の一部
龍文堂扁額
龍文堂右正面
方丈裏高台にある石佛五如来
仏殿扁額「方丈」
内部扁額「正法眼」
仏殿背面扁額「蔵経所}
仏殿背面、中央は一之拝門、右は手水舎
方丈左側面
名残の仏殿正面
放生池に咲くホテイアオキの花
梵音堂跡(ぼんのうどう、観音堂のこと)
阿弥陀三石仏
金名石「支那金鳴石初山栄寶」と彫られる
金鳴石と阿弥陀三石仏
龍文堂前にある生飯台
手水舎
方丈前から龍文堂、大きな杉「猿候杉」
石佛五如来
方丈左背面
方丈玄関わきにある水琴窟
方丈左正面見上げ
方丈玄関
方丈前面縁側
方丈正面
報恩堂扁額「報恩堂」
宝恩堂正面、開基近藤家の位牌を安置
報恩堂右正面、開基近藤家の位牌を安置
一之拝門 詳細はこちらから
正面入り口内部から、障子の桟
仏殿正面入り口
仏殿左側面
仏殿全面向拝部を左側面から
仏殿右背面
仏殿右側面
仏殿(重文)正面
仏殿左正面
山門前から正面に仏殿
山門 詳細はこちらから
龍文堂正面
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