山悠遊-岐阜養老
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
ふげんざんぜんどうじ ルート 駐車場(08:50)〜菩提山(11:45)
〜禅幢寺、竹中氏墓所(14:15/14:35)
〜竹中氏陣屋跡〜駐車場(14:40)
普賢山禅幢寺
地  域 25ni:関ヶ原/北東E 概要 禅幢寺は、宗旨:曹洞宗、山号:普賢山、開山:盛庵正碩、開創:明応3年(1494)、本尊:釈迦牟尼。戦国乱世の頃、岩手氏は、菩提山を本拠として、近江と美濃の間に勢力を張っていました。永禄元年(1558)竹中重元が、この地を納めていた岩手氏と戦いのうえ攻略し、竹中氏が6,000石の領主となり、竹中重元は子半兵衛重治と共に菩提山に城を築きました。重治は、羽柴秀吉の請いに応じて出陣し、戦略の武将としてその名を轟かせました。天正7年(1579)藩州三木の陣において、36歳の若さで病没した重治の菩提を弔うために、その子重門がこの寺に墓石を移し菩提を弔いました。現存の本堂は、重門の子重常が寛文3年(1663)に建立したもので、今では竹中氏とその家臣の菩提寺となっています。また、当寺には町指定絵画・竹中半兵衛重治像が伝わっています。山門は改築後新しいが、山門横にある鐘楼は袴腰の付いた立派なものです。この寺の北側にある八幡神社脇には、菩提山城址への登山口があります。
Mapion 岐阜県垂井町岩手
標  高 90m/80m=10m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2015.03.31、(晴)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要―/歩行―
アクセス 自家用車、00:50
備  考 特に問題なし
鐘楼東側、袴腰(スカートのような腰の壁)のついた立派なものです
墓所からの寺院甍
竹中久作(半兵衛の弟)の墓
本堂から左へ入って墓地へ行けば、墓所があります
数多の墓石に混じって山際に木廟に収められた墓があります
重元・重治父子のお墓だという看板がひっそりと出ています
廟の周辺には、その縁者の墓もあります
その墓地には普通に地元の人たちのお墓もあり
英雄と同じ敷地で永久に眠れるというのも感慨深いものがあります
左:竹中半兵衛重治公の墓、竹中重元公(半兵衛の父)の墓
墓所
明応3年(1494)の開創という古刹で、山門をくぐると、これ見よがしの装飾も控えられた落ち着いた佇まいの本堂が出迎えてくれます。ただ、その張り紙によれば、この由緒ある古刹も時代の流れで檀家が減り、張り紙をして寄付を集めなければならないのが実情のようです。
本堂パノラマ
鐘楼:山門を入ってすぐ、左は本堂
鐘楼東側遠景
寺院北側から全景
山門を出るとそこは田んぼだった・・・・
墓所からの東側展望
巡照板(じゅんしょうばん)
この板木は禅宗の道場などに吊られ、木槌で打ち起床と消灯を告げるために打ち鳴らされます
修行する雲水(修行僧)が正覚をめざして精進を誓い
自覚を促すために巡照板を打ち鳴らして、偈文を唱え各寮舎を回ります
偈文(板に書かれている文字)は、長い風雪により消えていて、判読できませんでした
本堂に張り紙が
本堂正面、左の奥に進むと墓所
鐘楼:本堂前から
山門詳細はこちら
山門
寺院正面全景
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