山悠遊-石川金沢
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
かなざわじょうこうえん ルート 市営駐車場(10:30)〜兼六園(10:40/12:30)
〜金沢城公園(13:00/13:40)〜市営駐車場(14:00)
金沢城公園
地  域 17:金沢/北西C 概要 金沢城は、江戸時代には加賀藩主前田氏の居城で、城址は国の史跡に指定されています。金沢平野を流れる、犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城です。櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦(焼成した煉瓦)を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓が、金沢城の特徴です。この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、御山御坊とも)」で、大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもありました。織田信長が一揆を制圧し、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置きました。賤ヶ岳の戦い後、羽柴秀吉は金沢城を前田利家に与えた。城址は明治以降、軍施設が置かれ一部を残して撤去され、現在は、金沢城公園として一般開放されています。
Mapion 石川県金沢市丸の内
標  高 60m/30m=30m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、☆
山行日 2016.11.30、(晴)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要00:40/歩行―
アクセス 公共交通、03:00
備  考 特に支障なし
河北門二の門(櫓門)背面 詳細はこちらから
東の丸太鼓塀附門(高麗門)
鶴の丸広場太鼓塀と堀、三の丸広場
鶴丸倉庫(重文)切妻面
鶴丸倉庫(重文)
戌亥櫓石垣に設けられたレンガトンネル
極楽橋と空堀
五十間長屋隅櫓と菱櫓
橋爪門一の門(高麗門) 詳細はこちらから
石川門櫓背面
極楽橋
三の丸広場からの五十間長屋
石川門一の門(高麗門) 詳細はこちらから
歩道橋からの百阮x西側
歩道橋からの百阮x東側
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金沢城址案内板(現地案内板)
あまり堅固な城とは言えず、有事の際は城下町にて敵を迎え撃つため軍事拠点として多くの寺が建立されました。そのうちのひとつ、妙立寺(通称忍者寺)の井戸には金沢城に通じる抜け穴があるとされています。この他、城内には内堀が、城外には東西の内外計4本の惣構堀(そうがまえぼり)が掘られていました。惣構堀は、後に用水路として転用されている部分が多くあります。兼六園は、加賀藩五代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた大名庭園です。兼六園内の山崎山は、惣構外郭土塁の一部であり、その南側の池は水堀の名残りです。
             (wikipedia抜粋編集)
東の丸太鼓塀
橋爪(はしつめ)橋
鶴の丸広場太鼓塀と橋爪橋、橋爪門続櫓
橋爪橋と橋爪門続櫓
戌亥櫓石垣に設けられたレンガトンネル
三の丸北園地の太鼓塀
三の丸広場からの五十間長屋、菱櫓
石川門櫓
石川門櫓
兼六園蓮池門通りからの石川門櫓
羽柴秀吉から金沢城を与えられた前田利家は、文禄元年(1592)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べました。典型的な平山城で、櫓を多用した構造になっています。瓦には、冬の積雪に耐えられるように軽量であり、有事には鉄砲弾にもなる鉛瓦が用いられています。本丸・二の丸・三の丸がありましたが、天守や三階櫓の焼失後は二の丸を藩主の居所とした。天守は再建されませんでした。
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石川橋(歩道橋)からの石川門
石川橋(歩道橋)からの石川門櫓(帰路)
三の丸広場からの鶴の丸広場の太鼓塀、右に橋爪門続櫓
橋爪門南方太鼓塀と堀、三の丸広場
鶴丸倉庫(重文)側面
戌亥櫓石垣下から橋爪門、五十間長屋
橋爪門続櫓と五十間長屋、同隅櫓と菱櫓
菱櫓と内堀
河北門二の門正面屋根
三の丸北園地の太鼓塀
橋爪門二の門(櫓門) 詳細はこちらから
石川門二の門(櫓門) 詳細はこちらから
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