門紀行:日光東照宮:陽明門
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平安京大内裏外郭十二門のうち陽明門の位置
←陽明門
mapion広域地図より
日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受け、本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北辰(北極星)が来るように造られているといわれます。
ただし、国土地理院図から経緯度を取得すると、江戸城本丸から日光東照宮本殿への方位は、西に約7度振れていて、おおよそ南北の位置関係にあると言えます。なお、日光東照宮と江戸城の距離は直線で約120kmです。

 磁方位偏差
江戸城(東京東北部)、6°50'西偏
日光東照宮(日光)、7°20'西偏

風水の吉凶方位は磁方位で判断します
天文は真北で検証します
奇門遁甲※では真北で判断することが多い

※奇門遁甲(きもんとんこう)は、中国で発祥した占術・方位術の一種で、方位を使うことで運命を切り開くためのもので、三国志に登場する諸葛亮公明が駆使したことで知られています。
江戸から日光に至る道を「北辰の道」と呼ばれます
鳥居から陽明門、本殿をみると、その先には真北にある北極星につながります
鳥居からこの道を真南に行けば江戸へ着きます。
さらに主要な建物を線で結ぶと、日光東照宮・上野寛永寺・・・・芝増上寺が直線状に並びます。
これらの社寺は、北斗七星の配置と寸分違わぬよう設計されているといわれます。

 「宇宙の北天である北極星を中心に、星が規則正しく運行する。
  これがこの世の規則であり、江戸から見れば、その要の位置に日光がある。」
との考えから、「家康公」が日光の地から江戸を守る「神:権現」になろうとしたのではないか・・・・

この仕掛けを作ったのが天海僧上(家康の相談役、政治顧問)と言われています。
そのため、陽明門前鳥居の手水舎前のある辺りが気学における
四神相応(しじんそうおう)の土地相
(前出のパワースポット)といわれている所以です

また、日光東照宮に多い彫刻は、魔除けの意図が込められています
その数なんと5173体(数えた人がいるんですね)、霊獣は30種
これらを一つずつ写真に収めようとすると・・・・・、陽明門ではないですがほんと日暮になります

人々の平和を願うこれらの彫刻や建造物
岡倉天心が述べています、「後世に伝えるのが我々に与えられた使命」、ということば
額面通り受け止めると、現実的には莫大な保存費用や技術者の育成が求められます
はたして創建者はそんなことを考えて最初の鍬をいれたのかな・・・・
堂宇の前に佇み、ふとそんなよこしまな考えがよぎりました
おそらく、長時間立づめの拝観疲れからでしょう・・・
陽明門からの鳥居
 
狛犬
 ↑
狛犬
右側の狛犬
左側の狛犬
玉垣の両側端部に柵から
飛び出そうとしている狛犬があります
参道の延長線と石畳の縁近くが
パワースポットと言われる所です
そこに立つと鳥居越しに陽明門が
すっぽりと収まります
陽明門前からの南側参道
工事中の表示板
西回廊からの工事中の陽明門
拝殿左透塀と神輿殿の間に工事中の陽明門
(※この陽明門写真は、2014年9月現在工事中につき素屋根がかかり
       工事施工者が観光客用に現場掲載されている写真を撮影しました)
右背面
工事中門背面を額縁にして
(※この陽明門写真は、2014年9月現在工事中につき素屋根がかかり
             wikipedia パブリックドメインを使用しました)
背面
工事中の内部天井
工事中の内部壁
門正面を額縁にして、正面は拝殿唐門
手水舎前鳥居からの陽明門合成(撮影時は工事用素屋根がかかっていました)
パワースポットと呼ばれるポイントから撮影しました
(※陽明門写真はwikipediaパブリックドメインを使用しました)
(※この陽明門写真は、2014年9月現在工事中につき素屋根がかかり
       工事施工者が観光客用に現場掲載されている写真を撮影しました)
右正面
標   題 日光東照宮:陽明門
山 行 日 2014年(平成26年)09月11日、(雨/曇)
Mapion 栃木県日光市山内
間 口 三間一戸
特 徴 楼門、国宝
リ ン ク 山悠遊:日光東照宮
概   要 日光東照宮は、徳川家康を神格化した東照大権現を祀る神社です。日本全国の東照宮の総本社で、正式名称は「東照宮」ですが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれます。平安時代の源義朝による日光山造営までさかのぼり、源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となり、こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられています。
陽明門は、建物全体がおびただしい数の極彩色の彫刻で覆われ、一日じゅう見ていても飽きないということから、「日暮御門」と称されています。門の名は平安京大内裏外郭十二門のうちの東の正門(陽明門)に由来しています。門の左右は袖塀を介して東西廻廊(国宝、 2棟、附潜門)につながります。
柱や梁などが白いのは、胡粉(ごふん:顔料で現在は貝殻からつくられる)で塗られ、グリ紋と呼ばれる渦巻状の地紋が彫られています。
この門は、入母屋造り銅版(本瓦状)葺。東西南北に唐破風付、正面破風下には扁額「東照大権現」があります。
正面
(※この陽明門写真は、2014年9月現在工事中につき素屋根がかかり
             wikipedia パブリックドメインを使用しました)