無駄なこととお思いでしょうが
無駄の中に心のゆとりが生まれるものだと思っています
ご理解いただいた方のみ、先にお進みくださいませ・・・・
それでは、ことば遊びをしてみましょう・・・・、「
子」が三つ、これから何を連想されますか・・・・
ヒント:「子」は『シ・ス・こ』などと読むことができます
また、単語が結合して複合語になるとき、後ろの語頭の清音が濁音に変わる「連濁」があります
子と子の間に、「の」をいれて読みやすくしてもかまいません
その論法からまいりますと、「子子子」は「スズコ:寿々子」などと読めるのかもしれません
・三つ子(七つだと=七つの子)
・こねこ(子猫・仔猫・小猫・子ネコ・子ねこ・コネコ)
・ねこのこ(猫の子)
・このこのこ(此の子の子=この人の子ども)
・ここのこ(此処の子:何処の子、ここのこ=ここを退くの方言)
・こしのこ(虎子の子、同じように獅子の子)
・・・・などなど
さらに、「子」の数を12文字続けると
・このこねこす このねすこしこす(この小根越す この根少し越す)
・このねここねこ ねこのここねこ(この猫小猫 猫の子仔猫)
・このこしこごし ししのここじし(この虎子小虎子 獅子の子仔獅子)※「こごし」という読みは?
・このすしすし このすすこしこし(この寿司酸し この酢少し濃し)
・十二子(十二支) ※これについては、参考に「340版:干支」をご覧ください
「子」といえば
最近マスコミ界はじめ、サロンなどでも「子ども問題」について語られることが多くなっています
少子化問題、虐待・いじめ・それに伴う悲しい出来事、などなど・・・・、それぞれに難しい問題です
それぞれの立場で、問題を自分達に都合よく解釈しているのが、そもそもの発端だと思います
法律は、社会秩序を維持するために、最低限の規律・基準などを定めていますが
中には、いかに法の網を潜るか、法に触れないから何をやってもいい、などなど・・・・
自分中心に都合よく解釈してしまい、法は破るためにあるという不遜な輩も出てまいります
今に始まったことではありませんが、人が数人よると、比較社会となり、格差が生まれます
他人よりも、いい生活をしたい、いい想いをしたい・・・・、それは世の常人の常
多くの人の犠牲の上に成り立っているとしたら・・・・
当事者がもっと自分の問題として受け止めていれば・・・・、などなど
そんなことは昔から耳が痛くなるほど聞かされています
、一体どうしたらいいのでしょうか・・・・
「子子子・・・・」の、ことば遊びのはずだったのに、横道にそれてしまいました
凡人は、「欲」なしでは生きてゆけません(損得勘定は、私達の生活のうえからも当然なことです)
「欲」があるゆえに、明日の活力も生まれ・向上心も湧き・闘争心を持つことも出来ます
されど「欲」あるが故に、医師不足や役人の保身・汚職など、負の面も生まれます
人は理性のある生き物です
倫理観や道徳観・公徳心など、程度・尺度の差こそあれ、それぞれに持ち合わせているのですが
どうしても、自分中心に考えてしまいます(それを抑えるのが、倫理・道徳と思うのですが・・・・)
昨今、この自己中心的な人が身の廻りに多くなった感は否めません
その点、山(自然)は人の心(欲)などに関係なく、自然の摂理によって成り立っています
だから、人は自然に対して畏敬の念を持ち、真摯な態度で接するべきだと思うのですが
それに抗うように、愚かで傲慢な人の欲がからんでの自然破壊、大きなしっぺ返しがきっとくる・・・・
611版:平成18年10月26日 木曜日
根子岳(ねこだけ)
山行日:2004.10.18、(晴)
所在地:長野県上田市
日本百名山に選ばれている
四阿山(あずまやさん)の隣に
聳えています
花の山としても知られ
穏やかな山容にもかかわらず
山頂部には奇岩があり
荒々しい崩落の痕もあります
虎が猫を被ってネコ(根子)に
なっていると、駄洒落を
言ってはみたものですが
手前の大だるみの上り口で
足を故障してしまい
散々な目に・・・・
継子岳(ままこだけ)
山行日:2005.05..11、(晴)
所在地:長野県木曽町
開田高原の北端部から
御嶽をながめました
手前の富士型の山容が
継子岳です
この日は飛騨小坂から
七合目の濁河を経て
これから
木曽福島に向かう途中です
このときは中山道中津川から
中央道に乗りましたが
2006.02に権兵衛トンネルが
開通し中央アルプス越えが
可能になりました
山行に見る 山に潜む子子
一緒にいってみたいなこんなとこ
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
今日のことば
長野
大阪
滋賀
♪歌声が あの小道に響けば
あの森陰 あの谷間 山にこの歌
山の子は 山の子は 歌が好きだよ
これは「山の子」の歌の一番歌詞です
山に抱く思いは人それぞれ
なぜ人は山に登るのか、と同じように
なぜ人は歌を歌うのでしょうか・・・・
人が生きていくうえで、歌は
芸術や笑いが必要なことと同じく
単なる余興やレジャーではなく
文化だと思います
もし歌が無ければ、笑いが無ければ
戦いや殺りくの日々が
繰り返されていることでしょう、しかし
ストレスの多い現代社会においては
文化であるはずの音楽や笑いが
溢れてはいるのですが、人の心が
殺伐としているのは何故・・・・
今回は、「子子子・・・」にちなんで
山に潜んでいる「子」の数々を
アルバムから拾ってみました
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
子子子・・・
山呼らいぶらり〜
やまのこ村
山行日:2006.08.23〜25、(晴)
所在地:長野県茅野市
美濃戸は八ヶ岳登山の登山口です
ここは「やまのこ村」という山荘の駐車場
一般車は前方200mで通行止です
バス停は約2km手前の美濃戸口ですから
ここまで入れるだけでもありがたいことです
ここに多くの子ども達の歓声や
歌声が響けば、未来も明るいのでしょうが
何故そんなエライことをしなければならない
という寂しい答えが返ってくるこの頃です
障子の滝
山行日:2005.06.08、(晴)
所在地:滋賀県高島市
八淵の滝にある滝の一つ
八淵の滝はその滝群の総称です
八王子山(はちおうじさん)
山行日:2003.04.17、(晴)
所在地:滋賀県大津市
日吉大社の門前町である坂本
参道は自動車道です
お碗を伏せたような山が
木々の間から頭を出しています
この山は信仰の山で
頂にはお堂があり
山王祭ではここに
神輿が担ぎ上げられ
そして下ろされるのです
これは大変な・・・・
継子岳(ままこだけ)
山行日:2002.08.11、(雨/晴)
所在地:長野県木曽町
ここは御嶽の飛騨頂上です
1時間前まで風雨が
吹き荒れていたのですが
天候が劇的に好転しました
10m先がガスで
視界が閉ざされ
前方の山小屋もまったく
見えなかったのですが
小屋に辿り着くころには
青空が支配していました
開成皇子の墓 (写真-右)
山行日:20056.03.04、(晴)
所在地:大阪府箕面市
東海自然歩道:箕面
勝尾寺近くの山上にあります
光仁天皇(第49代:770-781)の皇子の墓
五銚子の滝
山行日:2005.06.18、(晴)
所在地:滋賀県木ノ本町
横山岳中腹にある滝です(2枚合成)
銚子ヶ口(ちょうしがくち)
山行日:2002.11.24、(曇)
所在地:滋賀県東近江市永源寺
山頂は西峰・三角点峰・東峰で形成されています
三角点峰には銚子ヶ口岳の看板が掲げられています
近江百山では「岳」の表現はなく銚子ガ口
朝日新聞社の「週末は山歩き」では銚子ガ口岳、と色々本hpは銚子ヶ口としました
銚子ヶ口 東峰
銚子ヶ口 三角点峰