百々山 (どどやま)
骨塔
竹藪の中の道を0.2kmほど進むとあります
側面には「百々某」とあります
百々山北側山麓からの山容
撮影場所:彦根市鳥居本地区、百々山から西南に約0.5km
永禄13年(1570年、4月23日元亀と改元)の記述
百々地区新幹線高架下から南へ0.4kmのパノラマ
イワス
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イブキ
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北登山口
(丹羽砦址)
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城山観望2016.09.30
百々山
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イブキ
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イワス
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百々氏の祖である百々盛通が、当地に居住し、天台宗の百々山本照寺が盛通の菩提寺と伝わりますが、信長の戦火により本照寺は廃絶。その後、本尊を奥の別院に隠し、境内に八幡宮を建て、表向き八幡社としながら本照寺持仏堂として守られてきたと伝えられています。
現在、社殿が残るのみ。
中腹にある八幡神社、標高:130m
百々氏に所縁の石塔であるのでははないかと思われます
ただ、石塔の文字に風化が見られないことから
そんなに古くはないと思われます
なお、この近くには近在の墓地でもあり、墓石も点在しています
百々山入口:名神高速道路
「彦根25」トンネル
百々山頂からの西側展望
山頂から佐和山城址が目前に望めます
現在は樹木が邪魔をして全容は見えませんが・・・・
丹羽砦
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佐和山城址
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百々地区新幹線高架下からのパノラマ
百々地区新幹線高架下から南へ0.2kmからのパノラマ
丹羽砦
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百々山
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百々地区新幹線高架下からの山容
佐和山城址煙硝蔵跡からの丹羽砦址、東側展望(百々山南峰)、撮影日:2008.01.27
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百々館はこのあたり
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百々山
【 参考 】
信長公記 第三巻 「金ヶ崎撤退〜姉川の戦い〜近江志賀の陣」より抜粋
百々山(どどやま)標高:150m地点
百々山登山口
百々山
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イブキ
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小野地区新幹線高架下からのパノラマ
百々の集落は、室町時代後期から戦国期にかけて
京極氏に仕えた百々氏が本拠としたところです
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百々山
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)
および基盤地図情報を使用して作成しています。(承認番号 平25情使 第539号)
表示測地系:WGS84、経緯度線@10''(緯線:1間0.3km・経線:1間0.25km、斜め≒0.4km)
丹羽砦
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百々山
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向山(芹川北)
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男鬼山
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登山口
百々山南峰(仮称)
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八幡神社前(北側)の切削地
百々山南峰の鉄塔より百々山を俯瞰
にわとりで |
丹羽砦 |
別 名 |
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遺構等 |
土塁、堀切、曲輪 |
地 域 |
25znn:彦根東部/南西C |
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現 状 |
山林+尾根 |
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滋賀県彦根市小野町/鳥居本町 |
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築城者 |
織田信長方:丹羽長秀 |
標 高 |
190m/110m=40m |
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築城年 |
元亀元年(1570) |
訪城日 |
2009年02月03日(曇/雨) |
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形 式 |
山城 |
山悠々 |
野田山090203 |
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規 模 |
東西100mx南北50m |
概要 元亀元年(1570)の姉川の合戦後、浅井の重臣・磯野員昌が佐和山城に籠城した際に、信長が佐和山城に対し、監視の目的のために築いた四つの付城のひとつで、東の付城と伝えられています。その戦いで丹羽長秀が守ったといわれています |
信長公は横山城の城番に木下藤吉郎を入れ、みずからは7月1日磯野丹波守員昌の籠る佐和山城の攻略に向かった。佐和山では四方に鹿垣をめぐらし、城東の百々屋敷に砦を構えて丹羽長秀を置き、北に市橋長利・南に水野信元・西の彦根山に河尻秀隆の各将を配置して諸口を封鎖し、四方より攻撃させた。
7月6日(正確には7月4日)、信長公は数騎の馬廻のみを引き連れて京へ入り、公方様へ戦勝の報告をおこなった。京には数日滞在して戦勝参賀の使者の応対などをし、8日に岐阜へ帰還を果たした。
信長公記(しんちょうこうき または のぶながこうき)とは
日本の安土桃山時代の戦国大名である織田信長の一代記
著者は信長の家臣であった太田牛一で
豊臣秀吉の命により、太田牛一の日記を元に作られたとされています
まるやまじょう |
丸山城 |
別 名 |
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遺構等 |
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地 域 |
25znn:彦根東部/南西C |
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現 状 |
山林+山麓 |
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滋賀県彦根市小野町 |
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築城者 |
-- |
標 高 |
150m/110m=40m |
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築城年 |
中世細分不明 |
訪城日 |
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形 式 |
山城 |
山悠々 |
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規 模 |
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概要 ※彦根市教育委員会による埋蔵文化財一覧から、丸山城遺跡の調査位置が明示されているので、丹羽砦主郭位置と離れているため分離して記載ました |
佐和山城付近の城跡
丹羽砦
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丹生砦
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百々山
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イワス
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向 山
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男鬼山
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丹羽砦址
男鬼峠
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百々山
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名神高速道路→
百々山北側山麓からの山容
百々山北登山口、標高:110m
骨塔の傍にある沼
城跡であるとの先入観から
人工的な堀のようにも思われてしまいます
百々山西登山口