いそのやまじょう | ||||
磯野山城 | ||||
別 名 | 磯野城 | 遺構等 | 堀切、竪堀、切岸、曲輪 | |
地 域 | 25ns:竹生島/北東C | 現 状 | 山林+山頂 | |
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滋賀県高月町松尾/磯野 | 築城者 | 磯野員友あるいは磯野員精 | |
標 高 | 270m/100m=170m | 築城年 | 室町期、詳細不明 | |
訪城日 | 2016年09月10日(晴) | 形 式 | 山城 | |
山悠々 | 西野山(仮称) | 規 模 | 東西:210mx南北:80m | |
概要 磯野山城の築城年代は定かではありませんが、磯野員友が築城して以来、磯野氏代々の居城でした。永正14年(1517)、浅井亮政が江北の諸城を落とし、主君京極高清を小谷城に幽閉した時に、浅見対馬守が山本山城に籠もり反抗し、磯野員詮は磯野城に籠もって共に浅井氏に抵抗しました。その後、磯野昌員は浅井氏に従い佐和山城主となり、代わって磯野山城には大橋安芸守秀元が城主となりました。 磯野氏は、湖北四家(赤尾氏、雨森氏、井口氏、磯野氏)に数えられた有力氏族で、特に員昌が歴代の中で最も名を馳せた武将と伝わります。 |