大岩山 (おおいわやま)
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大岩山
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主郭
おおいわやまとりで
大岩山砦
別 名   遺構等 土塁、竪堀
地  域 25nn:木之本/南東W   現 状 山林+山頂+墓所
Mapion 滋賀県余呉町坂口/下余呉/川並   築城者 中川清秀
標  高 280m/140m=40m   築城年 天正11年(1583)
訪城日 2016年09月25日(曇/晴)   形 式 山砦
山悠々 大平良山   規 模 東西:50mx南北:100m
概要 大岩山砦は天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いで秀吉方の武将・中川清秀(当時茨木城城主)が守備していた砦です。玄蕃尾城に陣をおいた柴田勝家と木之本地蔵(浄真寺)に本陣をおいた羽柴秀吉は、配下の武将達に北国街道沿いの山々に城砦を築かせ、両軍は対峙した。戦線が膠着する中、柴田勝家方に寝返った山路正国が、佐久間盛政に「普請なども粗略にて」と献策したのが、この大岩山砦です。行市山砦の佐久間盛政は、勝家の許しを得ると、天正11年(1583)4月20日、夜半の暗闇に紛れて、集福寺坂〜文室山〜権現坂を経て、賤ヶ岳砦の北側を迂回して中川清秀が立て篭もる大岩山砦を急襲し、砦を奪取しました。この戦いで、中川清秀は四時間程防戦したが討死し、中川軍は全滅したと伝えられています。
坂虎口
墓所
主郭北側土塁
縄張り図
余呉湖北湖畔北西山麓からの山容