小川城山 (おがわしろやま)
西の城登山口からの小川城山
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主郭、奥に石垣が見える
主郭から北郭
現地案内板には、小川城は14世紀初め鶴見伊予守によって築城されたとあり、山麓にある『中の城、西の城』は支城として、三城一体としての機能があったと考えられます。戦国時代は多羅尾氏の勢力下にあり、『天正10年(1582)、本能寺の変』当時は、多羅尾光俊の居城でした。変事のおり、徳川家康が堺から伊賀越えで領国三河に逃げ帰る途中、信楽の小川城で一夜を明かしたと伝えられています(疲労度から中の城ではないかと考えます)。
主郭北側から南側
主郭から南側、中右奥の土盛り部が三角点
主郭東側から見上げ
中の城への通路
小川城山望遠
主郭
↓
北郭
↓
張出
↓
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多羅尾氏は文禄4年(1595)、豊臣秀吉に謀叛の疑いをかけられた関白・豊臣秀次の罪に連座して(多羅尾氏の娘が秀次の側室という関係からか)、領地を没収され、廃城という運命を辿ります。この時、旧領地多羅尾二百石は許され、多羅尾に住しました。 慶長5年(1600)、再び家康より食禄1500石を与えられ、天領の代官となり、屋敷(多羅尾代官屋敷)を設けて世襲し、一族から伊賀上野藩に仕える者もいて、幕末まで存続します。
北郭から主郭北側
張出
北郭
中の城山容
主郭東側の堀切:横側から
主郭から北の平削地俯瞰
土塁
城址入口
虎口
石垣
主郭東側の堀切
主郭土塁
主郭土塁
おがわじょう |
小川城 |
別 名 |
小川鶴見城 |
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遺構等 |
土塁、石垣、礎石 |
地 域 |
25k:信楽/南西C |
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現 状 |
山林+山頂公園整備 |
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滋賀県信楽町小川 |
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築城者 |
鶴見伊予守 |
標 高 |
470m/330m=140m |
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築城年 |
嘉元3年(1305)? |
訪城日 |
2015年03月17日(晴) |
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形 式 |
山城 |
山悠々 |
小川城山 |
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規 模 |
東西:50mx南北:100m |
概要 山頂部一帯を利用して築かれ、主郭部には3つの曲輪があります
西尾根山麓に中の城、道を挟み北西部に西の城、三城一体としての機能と推測
関白秀次事件に連座し廃城 |
土塁
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主郭
主郭虎口
小川城西尾根にある堀切
中の城登山口からの西の城山容
土塁
土塁
虎口
平削地と土塁
平削地