岡 山 (おかやま)
津田山
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西峰:頭山
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南峰:小山
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中峰:尾山
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撮影場所:近江八幡市水茎町、岡山から南西に約1.4km
すいけいおかやまじょう |
水茎岡山城 |
別 名 |
尾山城 |
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遺構等 |
土塁、堀切、竪堀 |
地 域 |
25en:近江八幡/北西E |
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現 状 |
山林 |
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滋賀県近江八幡市牧町 |
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築城者 |
九里備前守信隆 |
標 高 |
188m/90m=98m |
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築城年 |
永正5年(1508) |
訪城日 |
2010年12月26日(晴) |
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形 式 |
平山城 |
山悠々 |
岡山10.12.26、 |
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規 模 |
山域全体 |
概要 南北朝期に佐々木氏の支城として築城。六角氏との攻防により廃城、おおよそ20年存続。小さな山塊なれど、土塁や堀切などの遺構が残る。 |
水茎岡山城(碑文より)
1508年8月、この地の領主の九里氏が築城した。当時、戦いに敗れ京を逃れてきた11代将軍足利義澄を家臣や領民が迎えて、忠誠をつくす。1510年7年の幕軍3000人の来襲を撃破する。翌年3月には嫡男「亀主丸」が生まれる。同年8月には義澄を奉じて京に反抗する日の朝の義澄は急逝する。1520年7月に六角定頼の奇襲をうけ、数百名の餓死者を出して落城。1521年12月、亀主丸が12代将軍足利義晴になる報をきいて、九里伊賀入道自刃・・・・
「史蹟 水茎岡山城址」の石碑
堀切
土塁
大きな堀切が2か所
顕著に残っています
堀切
堀切