標 題 | 五僧峠(林道) |
山 行 日 | 平成24年(2012年)05.月17日(晴)、平成27年(2015年)05月06日(晴) |
地 域 | 篠立/北西NW |
滋賀県多賀町五僧/岐阜県上石津町時山 | |
付近状況 | 舗装林道 |
撮影場所 | 舗装林道 |
リ ン ク | 山悠遊:北横根(仮称)120517、ヨコネ(横根)150506、 |
概 要 | 五僧峠(ごそう、標高:500m、)は滋賀県多賀町五僧と岐阜県上石津町時山の県境にあり、多賀町町栗栖(くるす)地区と上石津町時山(ときやま)地区をむすぶ位置にあります。位置的に、近江湖東から美濃へと抜ける間道的なルートで、地元の人だけの、生活道路としての往来がありました。五僧峠へは、森林管理道時山多賀線として、舗装林道が2010年(平成22年)5月21日に開通しました。これにより、岐阜県側から車で五僧登山口までアクセスできることになりました。 今の様子からはうかがい知れませんが、岐阜県の『時山』から『五僧』そして滋賀県多賀町『保月』『杉』を経て『栗栖』から『多賀』へ至るルートは、「五僧越え」と呼ばれ、主要街道の間道として栄えていたと伝わります。この峠が古くから美濃と近江を結ぶ交通の要地であった、ということは峠の看板にも書かれております。また、有名な話ですが、この「五僧越え」は「島津越え」ともいわれます。これは1600年の関ヶ原の合戦で破れた西軍の武将、島津義弘が大勢の敵軍(東軍)の中を大胆にも中央突破し、美濃の国から国境の五僧峠に出て近江の国に入り、近江の国の小林新六郎の案内で高宮の河原で一泊して翌朝、信楽を出て堺まで行き、そして船で薩摩に帰ったところからそのように呼ばれています。 |