近江の峠:久々坂峠(山道)
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明治天皇の行幸に際し、手輿に乗って通られたと伝わっているので、それなりの幅が確保されていたと考えられます。また、南北に連なる尾根は、滋賀県と福井県との県境であり、賤ヶ岳の合戦時、柳ヶ瀬山の「玄蕃尾城」と行市山の「行市山砦」を結ぶ連絡道(軍路)として、相当な幅の通路が確保されたと考えられます。今は樹木が生茂り、その様子は推し量るしかありませんが・・・・
標 題 |
久々坂峠(山道)(別名:刀根越え、倉坂峠) |
山 行 日 |
平成20年(2008年)09.月17日(晴)、平成28年(2016年)10月15日(晴) |
地 域 |
中河内/南西E |
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滋賀県余呉町/福井県敦賀市 |
付近状況 |
山道 |
撮影場所 |
山道 |
リ ン ク |
山悠遊:柳ヶ瀬山080917、柳ヶ瀬山・行市山161015、 |
概 要 |
久々坂峠(くぐさかとうげ、標高:400m、別名:刀根越え、倉坂峠)は滋賀県余呉町と福井県敦賀市の県境にあり、余呉町柳ヶ瀬地区と敦賀市刀根地区をむすぶ位置にあります。位置的に、湖西から敦賀へと抜ける北陸道(西近江路)と北国街道の間道的なルートのように思えます。この峠では、中世において二つの歴史的事件がありました。一つは、世に名高い賤ヶ岳の合戦における、柴田軍の軍事的拠点である「玄蕃尾城」がつくられたこと。もう一つは、織田氏と朝倉氏の争い、「刀根坂の戦い」の舞台となったことです。古代、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう、14代、皇位192-200年、父親は日本武尊)が行幸(古事記)と、明治天皇が北陸巡行の際通られた道でもあります。これらのことから、この峠道は古墳時代より、大和と琵琶湖東岸を経由して敦賀に通じる道だったことが想像されます。 |
↑ 柳ヶ瀬地区
← 玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)
行市山砦(行市山) →
刀根地区 ↓
柳ヶ瀬山登山道から
真下に久々坂峠を見る
行市山砦(行市山)↑
刀根地区→
←柳ヶ瀬地区
↓玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)
↑倉坂峠/玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)↓
↑倉坂峠/玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)↓
玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)↑
柳ヶ瀬地区→
↑刀根地区
←行市山砦(行市山)
刀根地区→
玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)↓
↑行市山砦(行市山)
←柳ヶ瀬地区
行市山への登山道
行市山砦(行市山) →
刀根地区 ↓
↑ 柳ヶ瀬地区
← 玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)
←行市山砦(行市山)/刀根地区↑
↓柳ヶ瀬地区
玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)→
玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)↑
←行市山砦(行市山)/刀根地区↑
↓柳ヶ瀬地区
2016.10.15 再訪 ※柳ヶ瀬地区からの案内によると、名称が『倉坂峠』となっています
刀根地区↑
玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)→
←行市山砦(行市山)
↓柳ヶ瀬地区
刀根地区→
玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)↓
↑行市山砦(行市山)
←柳ヶ瀬地区
行市山への登山道
玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)↑
柳ヶ瀬地区↓
↑刀根地区
←行市山砦(行市山)
柳ヶ瀬地区への登山道
行市山砦(行市山)→
刀根地区↓
↑柳ヶ瀬地区
←玄蕃尾城址(柳ヶ瀬山)
↑久々坂峠
登山口(林道終点)/刀根地区→
↓刀根地区
久々坂峠↑
路傍に石仏がありました
旅人が道中の安全を祈ったことでしょう・・・・
久々坂峠↑
↓刀根地区