標 題 | 権現峠(古道) |
山 行 日 | 平成27年(2015年)08月28日(晴)、平成28年(2016年)04月16日(晴)、 平成28年(2016年)09月25日(曇/晴) |
地 域 | 25nn:木之本/南西NE |
滋賀県余呉町文室/川並/西浅井町祝山 | |
付近状況 | 山道(旧古道) |
撮影場所 | 山道 |
リ ン ク | 山悠遊:余呉湖-北山三座、行市山・文室山160416、大平良山160925、 |
概 要 | 権現峠(標高:380m)は、かつては余呉から塩津への流通ルートの一つでありました。まず北陸街道(西近江路)が律令制の時代から整備され、日本海側の物資と京の都の文化の流通が盛んになるにつれ、七里半越が整い、塩津街道(海道)が琵琶湖の水運の利用と相まって、整いました(国道8号の原形)。さらに戦国時代に入り、柴田勝家によって今まであったほそい山道が北国街道として生まれ変わり、近江と越前との物流は格段に便利になったとされています。この地方は、古代より古墳が多く、人馬の往来が必要であったことから、余呉地域と塩津地域の連絡は必然でありました。そうした中で、権現峠を通り、権現坂や秋葉越えの道ができたのは想像だに難くありません。北陸との主要通路としては、賤ヶ岳の南側山越えするルートであったと考えられ、権現峠や秋葉越えは、その間道として位置づけと考えるのが妥当だと思います。この峠が史実に一躍登場するのが、かの賤ヶ岳の合戦です。詳細は、他の機会に譲るとして、佐久間盛政や前田利家などの戦国期のスパースターが闊歩した歴史のある峠道です。 現在は、JR北陸線や国道8号が開通に伴い利用されなくなり、廃道となりました。 |