歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
撮影日:2008.03.02
01 ウメ
02 ウメ
03 サザンカ
14:45 駐車場 到着
登山道→
↑近江八幡市/東近江市↓
14:10 瓶割山頂上、標高:230m
別名:長光寺山、一の郭跡
山頂からの南側展望:雪野山
石垣(城内最大規模)
かめわりやま |
ルート |
長福寺町P(13:45)〜不二瀧〜北登山口(13:55)
〜瓶割山山頂(14:10/14:20)〜三角点(14:25)
〜林道出合(14:45)〜長福寺町P(14:55) |
瓶割山-長福寺町 |
シュミレーション |
地 域 |
25e:八日市/南西W |
概要 瓶割山(別名:長光寺山)は、湖東平野の田園地帯に盛り上がった里山です。隣に双耳峰のような位置関係で岩倉山(標高:約220m)が並んでいます。登山道は、@北側の工業団地近くにある神社近くから登り、岩倉山の鞍部に降りるルートと、A南側上平木町にある日吉神社から、水道配水タンクの管理用道路(通行禁止)を伝うルートがあります。紹介のルートは、@の北側ルートです。山域には長光寺城址の遺構があり、掘割跡や石垣・井戸などが散見でき、往時のよすがが偲ばれます。応仁年代(1467〜69)の頃、佐々木氏の築城と言われています。その後織田氏の支配となり、六角氏との戦で、守将の柴田勝家は籠城戦を取り、水瓶を割って士気を鼓舞いしたことから「瓶割柴田」の異名が付けられました。瓶割山の名前の由来は、これによると伝わります。山頂南側中腹と岩倉山には、現在の水瓶である水道配水タンクがあります。 |
 |
滋賀県近江八幡市 |
標 高 |
234m/100m=134m |
距 離 |
約2.0km、斜度:max25° |
体力度 |
10P、☆ |
山行日 |
2008.03.02、(晴) |
形 態 |
日帰り、2名 |
時 間 |
所要01:10/歩行01:00 |
アクセス |
自家用車、01:00 |
備 考 |
南斜面:急勾配 |
不二瀧:訪問時ここで行をされていました
修行の邪魔になるので遠くから撮影
←山 頂/一の郭
←三の郭
←武者隠し
国道八号から眺めた瓶割山(北側から南方向を眺める)
瓶割山
一の郭
↓
三角点
(二の郭)
↓
林道出合
↓
瓶割山三角点(二の郭)
↓
14:35 林道出合
14:15 雪野山三角点
標高:234.4m
三等三角点
点名:平木
林道への下山道の道すがら
石垣が散見できます
二の郭
↓
←下山道
二の郭
(土橋を渡った西側)
三角点
↓
武者隠し
(三の郭の北側)
八角平から見下げる
八角平
(一の郭の東側)
雪野山
↓
277峰
↓
長光寺城のその後
永禄11年(1568)、織田信長の上洛戦で
六角勢が籠城しましたが落城
元亀元年(1570)
織田信長は柴田勝家を長光寺城に置き
六角義賢・義治父子への押さえとしました
六角父子が長光寺城を攻めた際
籠城した勝家は苦戦し
水瓶を割って討って出たことから
「瓶割柴田」と呼ばれ
城も別名「瓶割城」となりました
天正4年(1576)安土城築城の頃、廃城
土橋
長光寺城、別名:瓶割城
鎌倉時代中期の築城
初城主:佐々木四郎政堯
遺 構 :一の丸,二の丸,米倉跡, 井戸,石垣,堀切,土橋など
応仁の乱(1467 - 1477年)で
西軍に属した観音寺城主・六角宗家重頼に対し、一族の佐々木(六角)四郎政堯は
東軍に属し、長光寺城を居城としました。
↑
土橋
↑
石垣
二の郭→
三角点→
↓登山口
13:55 登山口
滝入口のモニュメント
13:45 駐車場(路傍駐車) 出発
トンネルは土塁を貫通しています
山の彩り:3枚
瓶割山山麓にて
(滋賀県近江八幡市)
←滝
山悠遊-滋賀湖東