いそざきじんじゃ |
ルート |
旧松原港湾駐車地(08:30)〜烏帽子岩(09:30)
礒崎神社(09:40/10:10)〜磯山三角点(10:30)
磯山南山麓(11:00)〜旧松原港湾駐車地(11:30) |
礒崎神社 |
地 域 |
25znw:彦根東部/北西W |
概要 礒崎神社は、祭神:日本武尊、御神紋:十六の菊、社格等:村社、本殿の形式:1間社流造。景行天皇の御子:日本武尊が、伊吹の悪神を退治された時、足の傷がもとで気を失われ、醒ヶ井の湧水で正気になり、都への帰途、再び病がつのり、この地で崩じられました。聖武天皇の勅命により、磯山に陵を築き葬り、社を建立され、磯崎大明神と称しました。後に陽成天皇が社殿を修復されました。平安時代末期には、木曽義仲が浜街道より都へ攻め上る時、当社に武運長久を祈願したと伝わります。武人の尊崇も篤く、特に彦根藩主:井伊氏の信仰は深く、彦根城の守護神として崇敬されました。元禄4年(1691)4代藩主:井伊直興は、現本殿、拝殿、手水舎を改築されています。明治9年(1876)村社に列し、同41年(1877)神饌幣帛料供進指定となりました。5月の例祭では、日本武尊にあやかって武者行列が行われます。山頂には磯山城址あり。 |
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滋賀県米原市磯 |
標 高 |
159.5m/86m=74m |
距 離 |
― |
体力度 |
―、☆ |
山行日 |
2024.12.02、(晴) |
形 態 |
日帰り、2名 |
時 間 |
所要03:00/歩行02:30 |
アクセス |
自家用車、0:15 |
備 考 |
南側尾根道藪不明道 |
三等三角点、基準点名:寅ヶ城、標高:159.52m
こちらに
彦根城方面
↓
佐和山
↓
横山岳方面
↓
金糞岳
↓
七尾山
↓
伊吹山
↓
「磯山城跡」案内板、※写真クリックで拡大表示
山頂樹間からの北側展望
磯山山頂、元宮
本宮鳥居、元宮(磯山山頂・虎ヶ城址)への参道(登山道)口
拝前広場、石畳みの左側に絵馬堂への参道
後宮(うしろみや)、宝篋印塔
瑞垣・瑞垣門・幣殿・本殿、奥の屋根は後宮
拝殿背面
※扉の十六菊紋は御神紋、屋根棟の井桁・橘の紋は井伊氏の紋
拝殿正面
灯籠列
幸福社、祭神:豊受大神
佐太社、祭神:猿田彦命
先導の神
命お隠れの時此の地より西湖(※)白髭神社へ行く
(※礒崎神社から琵琶湖を介し西の方角に白髭神社はあります)
上壇:拝殿前広場
金比羅社前一の踊り場から本殿への階段参道-二の踊り場・上檀
「金毘羅社 祭神」案内板
金毘羅社
大祓社
社務所前広場、奥に大祓社
一の鳥居神額『礒崎神社』
「大祓社 祭神」案内板
手水場
彦根市の沖合に浮かぶ多景島(焦点:400mm)
烏帽子岩、びわ湖の中央奥に多景島がかすかに視認できます
烏帽子岩、奥の市街地は長浜市
烏帽子岩
絵馬堂の奉納額
烏帽子岩歌碑、右奥:烏帽子岩
手水舎、左:絵馬堂への階段参道
農耕(農耕指導)の神
礒崎神社の御祭神は、日本武尊です。日本武尊は武神、農業神として信仰され、国土平穏、五穀豊穣、開運招福、除災のご利益があります。
伝説によると・・・
日本武尊は、伊吹山の悪の神を討伐するため出征しましたが、草薙剣も持たずに出かけたため重傷を負い、磯の地で亡くなったのだと伝えられます(最期の場面には諸説あり)。
(※参考・・・日本武尊に草薙剣を与えたのは叔母の倭姫命。礒崎神社の北にある坂田神明宮は倭姫命が2年間滞在していた地で、琵琶湖対岸の白鬚神社は倭姫命の創建と伝えられます。)
礒崎神社前の岸辺にある烏帽子岩は、日本武尊の墓標として置かれた岩と伝わります。男岩・女岩の2つの岩がひとつに重なっているところから、『結びの岩』とも呼ばれています。
山頂標示板、磯山、標高:159.5m
山頂樹間からの南側展望
山頂樹間からの北側展望、※写真クリックで拡大表示
「琵琶湖と入江内湖」案内板、※写真クリックで拡大表示
磯山山頂、奥に元宮
元宮(磯山山頂・虎ヶ城址)への参道(登山道)
拝殿前広場、奥の左側に元宮(磯山山頂)への参道(登山道)あり
瑞垣・瑞垣門
日本武社、祭神:日本武尊
元日本武尊の御陵墓の上に鎮座
寿永(1182-1184)の昔、木曽義仲都へ攻め上る時武運祈願
金比羅社前から本殿への階段参道-一の踊り場へ
社務所前から本殿への階段参道
一の鳥居(明神鳥居、根巻・亀腹なし)
招魂社、鳥居:神明系で柱に転びがある
手水舎
「礒崎神社の武者行列」案内碑、※写真クリックで拡大表示
「磯山遊歩道案内図」案内板、※写真クリックで拡大表示
参道口、一の鳥居
琵琶湖沿いには日本武尊の墓標としてから烏帽子岩が置かれたと伝えられています。
湖岸沿いに歌碑が建てられています
「 磯の崎 漕ぎ廻(た)み行けば あふ美の海 八十のみな登に 鶴(たづ)さはに鳴く 」
高市連黒人
(磯の崎を漕ぎめぐっていくと、近江の海には多くの港々に、鶴がたくさん群れ鳴いている)
(万3-273)
『万葉集』に載せられている高市連黒人(※たけちのむらじくろひと)の歌
※高市連黒人は、飛鳥時代の官人・歌人、聖は連。万葉集に、18首の短歌が採録。
古代の磯崎は、琵琶湖に突き出た半島の先端だったため、舟でなければ行けませんでした。
絵馬堂
旅悠遊-滋賀北鈴鹿
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき