あたごさんせんりんじ ルート 愛宕山仙琳寺(10:15/10:35)
愛宕山仙琳寺
地  域 25znw:彦根東部/南西N 概要 仙琳寺は、宗派:天台宗、山号:愛宕山、本尊:阿弥陀如来、創建:寛政10年(1798)、開基:井伊直中、開山:本空。仙琳寺の地には、愛宕権現を祀る社堂が江戸時代以前から存在していたとされれます。元禄8年(1695)、4代藩主:井伊直興が愛宕社を修理するなど、藩の庇護を受けていました。この庇護は、彦根城下の火災除けという信仰によるとされています。井伊直興の庶子:千代之介が誕生の後、出家。名を本空と改め、自ら一寺を建立する決意を秘めたまま、60歳で急逝。弟子の義空に決意を遺命しました。11代藩主:井伊直中が義空を取り立て、寺院の普請を進め、直中の懇願で日光輪王寺の直末として認められ、輪王寺から「仙琳寺」の号を賜りました。現在の表参道は、東海道本線に跨線橋が架かり、鉄橋を渡って佐和山山麓に取付き階段参道を登ると、正面に漆喰で塗り固められた山門(竜宮門)をくぐりると境内です。
Mapion 滋賀県彦根市古沢町
標  高 105m/86m=19m
距  離
体力度 ―、Θ
山行日 2024.05.03、(晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要00:50/歩行0:30
アクセス 自家用車、00:15
備  考 特に問題なし
不動明王堂:左、愛宕社:右
裏参道口住宅地からの彦根城望遠
裏参道口からの佐和山
境内社
聖天堂向拝扁額『聖天』
聖天堂正面
中門前からの愛宕社:左、聖天堂:右
中門左背面中景
中門左正面
本堂向拝扁額『金剛殿』
仙琳寺の石田地蔵、※写真クリックで案内板拡大
庫裏前からの金亀山展望
左側面
右背面、※2枚パノラマ
左背面
本堂前からの山門背面
山門背面見下げ
山門背面額縁
山門正面額縁
仙琳寺山門遠景
仙琳寺跨線橋
彦根駅↓
仙琳寺跨線橋からの弁天山
↑米原駅方面
彦根駅→
古沢跨線橋からの佐和山山容
↑米原方向
山中に仙琳寺
  ↓
弁天山
 ↓
伊吹山方面
 ↓
佐和山
 ↓
切通し
 ↓
弁天山
 ↓
仙琳寺
 ↓
佐和山山頂
  ↓
近江鉄道
鳥居本方向
 ↓
東海道本線
米原方向
    ↓
仙琳寺
 ↓
切通し
開山の本空は、彦根藩4代藩主:井伊直興(1656-1717)の庶子として、正徳元年(1711)に江戸で誕生しました。幼名を千代之介と呼び、直興が深く帰依していた永源寺86世で、当時松雲寺(愛東町妹村)住持の南嶺慧詢(1629-1714)に託され、出家得度して法名を弁恵と名づけられました。その後、京へ出た弁恵は、般舟三昧院の如空の弟子となって、再び本空と改名し、堂院の第15代住持に就任しました。しかし、病に倒れ、後を弟子の義空に託して60歳で遷化しました。天明8年(1788)に京洛が大火に見舞われた後、彦根の愛宕山の別当寺に入った義空は、時の11代藩主:井伊直中(1766-1831)に取り立てられました。寛政10年(1798)に、直中の懇願により寺を日光輪王寺の直末とする達書が出され、本空を同寺再興第1世とし、義空を2世とすることが認められ、輪王寺から「仙琳寺」の号を賜わりました。義空は、直中の厚い庇護のもと、諸堂を建立し、文化3年(1806)には叡岳探題前大僧正豪恕を唱導師として、宝殿造営供養が営まれました。以来、幕末に至るまで井伊家の外護は厚く、歴代藩主の中でも特筆すべきは13代藩主で、後に幕府大老となった井伊直弼(1815-1860)で、第4世の慈空とは茶会を通して頻繁に行き来があり、懇意にしていました。現本堂は、直弼を招いての茶会を開いたであろう茶室と庭園跡が確認されています。また、境内からは琵琶湖を背に彦根城と城下が一望でき、井伊家と共に歩んだ歴史を感じさせられます。
山門前のお堂
古沢跨線橋からの佐和山山容、※3枚パノラマ(手前は魚眼状態)
東山公園の高台からの金亀山望遠
東山公園の高台からの金亀山遠望
荒神山
 ↓
金亀やま・彦根城
  ↓
陸上競技場
  ↓
裏参道口住宅地からの金亀山:彦根城遠望
裏参道口住宅地からの新装なった陸上競技場、※2026年・国体メイン会場の予定
裏参道
境内社
聖天堂背面からの行者堂:左、観音堂:中、恵明堂:右
聖天堂前からの行者堂:左、観音堂:中、恵明堂:右
中門前からの行者堂:左、観音堂:中、恵明堂:右
中門(四脚門)背面
中門(四脚門)正面
本堂前からの中門中景
仙琳寺案内板、※写真クリックで案内板拡大
本堂
石田地蔵、14体の石仏と五輪塔
右背面上層部
山聲-TOP
旅悠遊-滋賀北鈴鹿
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
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庫裏前からの彦根城天守と天秤櫓・望遠