よしろじんじゃ | ルート | 駐車場(10:20)〜法華寺跡(10:45/11:15) 〜伊香具坂神社(12:15) 〜與志漏神社(12:20/12:35)〜駐車場(12:50) |
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與志漏神社 | |||
地 域 | 25nn:近江川合/南西SW | 概要 與志漏神社の創建は不詳。古くから余領(よしろ)郷の氏神として崇敬され、世代(よしろ)大明神と称し、始祖:波多氏と推定されます。平安時代から鎌倉時代にかけては、己高山鶏足寺の鎮守社として社運も隆盛し、神威もまた絶大であったことがうかがえます。境内にある戸岩寺は、霊亀2年(716)に創建されたものです。伝教大師や空海、自覚大師といった名僧とも縁があり、最盛期には境内に多くの堂宇が建ち並び、岩本坊・阿弥陀坊・開寿坊・真乗坊・道禅坊・長円坊の6坊を擁し、30余名の修行僧が勤めていました。中世に入ると小谷城の城主浅井家に庇護され、社領や屏風を寄進しています。明治に入り、神仏分離令により、多くの寺院は急速に衰退します。その中で、神社は明治9年(1876)に村社、明治18年(1885)に郷社に列しています。境内は秋になると紅葉で彩られます。 | |
滋賀県木之本町古橋 | |||
標 高 | 160m/141m=19m | ||
距 離 | 約―km、斜度:max―゜ | ||
体力度 | ―P、Θ | ||
山行日 | 2015.11.22、(晴) | ||
形 態 | 日帰り、2名 | ||
時 間 | 所要02:30/歩行01:00 | ||
アクセス | 自家用車、01:00 | ||
備 考 | 特に支障なし |
参道口 |
一の鳥居 |
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鳥居神額「與志漏神社」 |
参道 |
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参道紅葉 |
参道紅葉 |
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西側展望:呉枯ノ峰 |
参道見返り |
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二の鳥居 |
手水舎吐水口 詳細はこちらから |
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神社拝殿遠景 |
拝殿右正面 |
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與志漏神社の案内板 |
拝殿内部、扁額「與志漏大明神」 |
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與志漏神社 與志漏神社の創建は不詳ですが、古くから余領(よしろ)郷の氏神として崇敬される大社だったと伝えられ、世代(よしろ)大明神と称していました。境内背後の山の斜面には、製鉄炉跡もあり、古代の精錬技術者の氏神や祭神である、波多八代宿禰(武内宿禰の子で淡海臣の祖)の子孫である波多氏との、関係も深いものと推定されています。また、『ヨシロ』は八代の転化したものと言われます。 延長5年(927)に編纂された、延喜式神名帳に式内社として記載され、平安時代から鎌倉時代にかけては、己高山七大寺(己高山五箇寺とも)に数えられた鶏足寺の鎮守社として、社運も隆盛し、湖北三郡に氏子を擁するなど、神威もまた絶大であったことがうかがえます。 境内にある戸岩寺は、霊亀2年(716)に創建されたもので、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、己高山にあった多くの寺院は急速に衰退します。明治9年に村社、明治18年に郷社に列し、明治42年に神饌幣帛料供進社に指定されています。 |
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幣殿、瑞垣、本殿、脇社 |
岩戸寺薬師堂正面 |
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戸岩寺の案内板 |
薬師堂右背面 |
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戸岩寺は霊亀2(716)年の創建と伝えられています。 本尊の薬師如来は、僧行基により伊香山(異光山)五ツ岩の麓からこの地に移され、その岩にちなんで戸岩寺と名付けられたとつたわります。宗派:法相宗から天台宗に転宗。八世紀末頃から伝教大師最澄や弘法大師空海、慈覚大師円仁といった名僧とも縁があり、最盛期には境内に多くの堂宇が建ち並び、岩本坊・阿弥陀坊・開寿坊・真乗坊・道禅坊・長円坊の6坊を擁し、30余名の修行僧が勤めていました。現在は薬師堂及び大日堂を残すのみです。境内にある「己高閣」と「世代閣」には、廃寺となった寺宝や仏像が集められ展示、保存されています。 |
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薬師堂左背面 |
薬師堂背面の紅葉 |
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戸岩寺大日堂遠景 |
大日堂正面 |
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戸岩寺鐘楼 |
世代(よしろ)閣、己高閣脇の紅葉 |
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石仏群 |
伊香具坂神社鳥居 |
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鳥居神額「伊香具坂神社」 |
鳥居前紅葉 |
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古橋製鉄遺跡跡の案内板 |
製鉄遺跡:保存のため埋戻し |
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古橋周辺案内板=現地案内板 |
製鉄遺跡跡からの己高山展望:中央奥 |
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世代(よしろ)閣、己高(ここう)閣、己高庵、周辺の紅葉 | |||||||||