たどたいしゃ ルート 多度大社(09:30/10:50)
多度大社
地  域 24n:弥富/北西W 概要 多度大社は、主祭神:天津彦根命、社格等:式内社(名神大)・伊勢国二宮・旧国幣大社・別表神社、創建:第21代雄略天皇年間(456?〜479?)、本殿の様式:神明造。社伝によると、社殿背後の多度山を神体山として仰がれてきました。天平宝字7年(763)、僧:万願によって、神宮寺が貞観3年(863)に創建されました。平安後期には、伊勢平氏により崇敬され、軍神としても信仰されました。中世には、国司:北畠氏が保護していましたが、元亀2年(1571)織田信長の長島一向一揆平定の際に、織田信長の命を受けた大垣城主氏家卜全により、多度大社の本宮並びに摂末社、神宝、古記録、多度大社の神宮寺であった宝雲寺(真言宗)の七十余りに及ぶである堂塔伽藍が全て焼きつくされ焼失しました。その後、慶長10年(1605))に桑名藩主:本多忠勝により再建されました。明治6年(1873)、県社に列格し、大正4年(1915)に国幣大社に昇格しました。
Mapion 三重県桑名市多度町
標  高 63m/40m=23m
距  離
体力度 ―、☆
山行日 2024.10.11、(晴)
形  態 日帰り、3名
時  間 所要01:30/歩行00:30
アクセス 自家用車、01:40
備  考 階段参道
案内板の要旨、※判読しずらいため、要旨を記載
西南の役以降の国内外の出征、戦歿された桑名郡市・員弁郡市・四日市市・三重郡・岐阜県下
ご出身の御英霊を奉斎。御創立は、昭和二十七年サンフランシスコ条約発効後で
御例祭は春秋二度、ご遺族の方々が参列され厳粛裡に斎行される。御例祭。四月三日  十月三日
御手洗場、※写真クリックで案内板拡大
「別宮 一目連神社」案内板、写真クリックで拡大表示
別宮拝殿
本宮拝殿
本殿脇の小滝
本殿前の禊橋
末社 神明社、御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
タ度両宮背面額縁
「多度招魂社の由緒」案内板
招魂社、御祭神:西南の役後の御英霊
末社 皇子社、※写真クリックで案内板拡大表示
三の鳥居前階段参道
神馬舎
神馬舎
芭蕉翁
筆塚、※写真クリックで案内板拡大表示
御札等の授与所
二の鳥居
「末社 雨宮八幡社」、御祭神:天之水分神(あめのみくまりのかみ)
                   國之水分神(くにのみくまりのかみ)
                   品陀別命(ほんだわりのみこと)・應神天皇(おうじんてんのう)
手水舎
「白馬伝説の由来」案内板、※写真クリックで拡大表示
「錦山血統書」案内板
馬名「錦山(きんざん)」
「末社 藤波社」、御祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)・牛頭天王(ごずてんのう)
                大己貴命(おおなむちのみこと)・大黒主命(おおくにぬしのみこと)
                少彦名命(すくなひこのみこと)
上げ馬神事催行場、シートが覆われているところから勾配が改修され
            支障なく馬が駆け上がれ、神事が催行されるようになりました
上げ馬神事催行場
上げ馬神事催行所、※左側の建物は神事観覧場
階段参道・二の鳥居
「定」高札
御例祭は、一般的には多度祭と称され、上げ馬神事や流鏑馬神事が行われます。
このうち上げ馬神事 (あげうましんじ)は5月4日・5日に行われます。コロナ禍では中止(上げ馬神事は戦時中でも行われていました)となりました。中止になるのは、長島一向一揆の平定に動いた織田信長による焼き討ちで神社が焼失して以来、約400年ぶりだと言われています。
過去、上げ馬神事については馬の骨折等が問題となっていました。
令和5年(2023)、多度大社で「事故防止対策協議会」が開かれ、三重県や桑名市、警察の担当者、地元代表などが出席し、三重県が壁を含む坂全体の構造を見直すことを提案し、多度大社や地元の代表がこの提案を受け入れる方針を決められ、神事の場所が改修されまし。令和6年(2024)、本番に先立ち、馬を坂にならすための試走が行われ、専門家などからの助言を受けて、土壁を撤去したほか、坂を緩斜面にするなどの改善策が施され催行されました。
社務所前広場(帰路)
本宮:多度神社
   祭神:天津彦根命(あまつひこねのみこと)
   相殿:面足命(おもだるのみこと)、惶根命(かしこねのみこと)
別宮:一目連神社
   祭神:天目一箇命(あめのまひとつのみこと)

本宮祭神の天津彦根命は、天照大神の第3子とされる神で、天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神です。天津彦根命が天照大神の御子神であることや参詣のための街道沿いにあることから、伊勢神宮との関係が深く、『お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り』」とも詠われました。また俗に、北伊勢大神宮・多度大神宮などとも云われました。本宮と別宮は、合わせて「多度両宮」と称されます。
二の鳥居参道(帰路)
「本宮 多度神社」案内板、※写真クリックで拡大表示
本殿奥の瀧
タ度両宮神門扁額『多度両宮』
タ度両宮神門右正面
タ度両宮神門左正面
摂社 美御前社(うつくしごぜんのやしろ)、御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
多度両宮前の階段参道
三の鳥居
「白馬伝説の由来」案内板、写真クリックで拡大表示
「芭蕉翁句碑」案内板、※「芭蕉の句」は碑には刻されていません
寶物殿過ぎ参道、左:往路・右:帰路
寶物殿
二の鳥居過ぎ参道
絵馬の納所
社務所前広場
手水場
奉幣馬舎
奉幣馬舎
「摂社 新宮社」、御祭神:天津彦根命幸魂(あまつひこねのみことさきみたま)
                天目一箇命幸魂(あめのまひとつのみことさきみたま)
中壇広場
階段参道、上げ馬神事観覧場
「多度大社 御由緒」案内板、※写真クリックで拡大表示
参道口
山聲-TOP
旅悠遊-三重北勢
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき