こんごうしょうじおくのいん ルート 勝峰山金剛證寺(12:50)〜奥之院(13:35/14:15)
〜勝峰山金剛證寺(14:30)
金剛證寺奥之院
地  域 24i:鳥羽/北西S 概要 金剛證寺は、正式名称:朝熊岳勝峰山兜率院金剛證寺(あさまだけ しょうほうざん とそついん こんごうしょうじ)。創建は6世紀半ばと伝わります。「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として、伊勢信仰と結びつき繁栄しました。山門から、参道を通って本堂(摩尼殿)にお参りして奥の院へ向います。奥の院は、勝峰山呑海院(しょうほうざんどんかいいん)と呼ばれます。奥の院への参道には、ずらっと塔婆が並び、大きい塔婆は7.8mもあります。うっそうとした参道に壁のように立ち並ぶ卒塔婆です。伊勢では、宗教・宗派に関係なく、一周忌をめどに金剛證寺奥之院に塔婆を建てます。富士見台と言う看板があります。「海を呑む 茶の子の餅か 不二の雪 詠人:一休禅師」、この歌から「呑海院」と言う名前になったんでしょうか。天気の良い、空気の澄んだ日には富士山が見えるそうですが、木が邪魔で見えそうもありませんでした。
Mapion 三重県伊勢市朝熊町
標  高 463m/434m=29m
距  離
体力度 ―、☆
山行日 2024.06.11、(晴)
形  態 後泊、3名
時  間 所要00:40/歩行00:30
アクセス 自家用車、03:10
備  考 階段参道、奥之院へ500m
極楽門背面(帰路)
塔婆が建つ参道(帰路)
中門(表門)背面
卒塔婆の供養林
地蔵菩薩石仏群、合祀供養塔、右奥に中門(表門)
地蔵菩薩石仏群、合祀供養塔
「富士見台」案内板
地蔵菩薩の石仏群、※写真クリックで案内板表示
庫裏前からの石仏群
香炉
庫裏志納所
本堂前境内
手水場
中門(表門)正面、中門(表門)詳細はこちらから
手水舎
塔婆のある参道、塔婆の高さが低くなってきました、奥に中門遠景
九鬼嘉隆公の五輪塔
塔婆が建つ参道
塔婆が建つ参道
極楽門、極楽門詳細はこちらから
奥之院参道口
金剛證寺の奥まったところにある奥の院の極楽門をくぐると、仏様の慈悲により、極楽浄土へ往生できるそうです。
室町時代には、神仏習合から伊勢神宮の鬼門にあたる丑寅(北東)に位置する金剛證寺が、伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、入山者が増えることになりました。戦国時代から江戸時代初期には、統治権力が及ばない聖域・避難所・自由領域などとも呼ばれる特殊な場所となっており、豊臣秀吉の勘気を受けた尾藤知宣の潜伏先として選ばれました。
朝熊山付近では、江戸期以降、宗派を問わず葬儀ののちに朝熊山に登り、奥之院の参道に塔婆を立て、供養する岳参り(たけまいり)という風習があります。 仏式の宗派、神式も問わず『岳参り』はされるようで、『岳(たけ)さん』と呼ばれ、今も信仰登山をされる方がいられます。卒塔婆が参道に並ぶ姿は、まさに壁と表現するにふさわしい景観で、聖域と呼ぶにあたいする雰囲気です。
塔婆が建つ参道(帰路)
「卒塔婆の供養林」、※写真クリックで案内板拡大
「合祀供養塔」案内板
地蔵菩薩の石仏群
香場側面
香炉
香場正面
塔婆志納料案内板、※写真クリックで拡大
庫裏正面、香場正面
本堂
本堂前香場
「九鬼嘉隆公の五輪塔」案内板、※写真クリックで拡大
塔婆が建つ参道
奥之院塔婆建立番地案内図、※写真クリックで拡大表示
山聲-TOP
旅悠遊-三重伊勢
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき