まつさかじょうあと ルート 松坂城跡(11:10/昼食/12:30)
松坂城跡
地  域 24:松阪/北西N 概要 松坂城は、城郭構造:梯格式平山城、天守構造:連結式3重5層(天正16年(1588)築・非現存)、築城主:蒲生氏郷、築城年:天正16年(1588)、主な改修者:古田重勝、主な城主:蒲生氏郷・服部一忠・古田重勝、廃城年:明治4年(1871)、遺構:天守台・本丸・二の丸・石垣等多数、別名:松阪城、国指定史跡。城は、松阪市中心部の北部に位置し、阪内川が城北を流れ、天然の堀となっています。江戸時代初期には、松坂藩の居城となっていましたが、廃藩:元和元年(1619)後は、御三家紀州藩の南伊勢国内17万9千石を統括するために城代が置かれました。明治14年(1889)頃までに建造物はおおむね破却されましたが、殿町の御城番や市区・米蔵のみが現存しています。石垣は、安土城同様の形式ですが、それを上回る強固なもので、美観という面でも優れています。近世の先駆けとなる名城とも言われています。
Mapion 三重県松阪市殿町
標  高 38m/11m=27m
距  離
体力度 ―、☆
山行日 2024.06.12、(晴)
形  態 前泊、3名
時  間 所要01:20/歩行00:40
アクセス 自家用車、02:30
備  考 特に問題なし
観光パンフレットから-2/7、※写真クリックで拡大
御城番屋敷・公開住居
観光パンフレットから-6/7
観光パンフレットから-3/7
御城番屋敷
「本居宣長記念館・三閑のご案内」案内板
隠居丸・鈴屋遺構
鈴屋遺構の表門右正面
本丸上段北東側石垣
きたい丸から西側展望、案内板、※写真クリックで案内板拡大
きたい丸からの天守台
本丸上段北東の富士見櫓跡からの兵部屋敷跡パノラマ、※写真クリックで拡大
本丸上段・天守跡
「松阪開府之碑」石碑
本丸上段・兵部屋敷跡、奥の高台は金の間櫓跡
本丸下段からの南側市街地展望、※中央に御城番屋敷
本丸下段・遠見矢倉跡石垣
本丸下段・遠見矢倉跡石垣
「歴史資料館(旧飯南郡図書館)」案内板、※写真クリックで拡大
歴史資料館
表門跡から市街地を見る
表門跡
表門跡
観光パンフレットから-7/7
安土城の築城に加わった蒲生氏郷ですが、松坂城にもこの時の石垣作りが取り入れられています。石垣の積み方は、「野面積み」を主体として、隅の部分は「切込みはぎ・算木積み」という工法が使われています。これらの工法は、「穴太衆」と呼ばれる近江国の石工集団が、安土城で今までの日本にはなかった新しい築城方法を発案したものです。蒲生氏郷は、自分の出身地でもある穴太衆を中心に、地元の農民をかり出し石垣を組上げていきました。石材の多くは、近くの河原から集められた石が使われましたが、天守台などには古墳に埋葬された石棺の蓋まで使用されたと言われています

昭和63年(1988)-平成15年(2003)の16年間、総事業費11億円、総面積4580m2に及ぶ「平成の松坂城石垣修復」が実施されました。部分的な石垣の修復はされていましたが、全面的な修復は、元禄13年(1700)依頼といわれています。この修復で、二ノ丸からは蒲生氏郷の時とは違うノミ跡が発見されたり、三ノ丸の野面積みも紀州藩になってからのものなど、数多い発見が報告されています。

明治22年(1889)、町村制施行時に地名が「松坂」から「松阪」に変更されました。
観光パンフレットから-5/7
観光パンフレットから-4/7
観光パンフレットから-1/7
「旧松坂御城番長屋」案内板、※写真クリックで拡大
御城番屋敷観光パンフレット
御城番屋敷通り
御城番屋敷通り北詰
「松阪城跡」案内板、※写真クリックで拡大
裏門跡
隠居丸・鈴屋遺構
「本居宣長記念館・見学のご案内」案内板、※写真クリックで拡大
「史跡本居宣長舊宅」石標
鈴屋遺構の表門正面中景
中御門跡から鈴屋遺構
きたい丸石垣
きたい丸から西側展望
本丸上段北側多聞櫓跡から天守跡・右は敵見櫓跡
本丸上段・金の間櫓跡
本丸上段・兵部屋敷跡、左の高台は天守跡
本丸下段多聞櫓跡から裏門跡を俯瞰
本丸下段から月見櫓跡
本丸下段から本丸上段金の間櫓石垣
「松坂城散策マップ」案内板、※写真クリックで拡大
表門跡から市街地を見る
表門跡から二の丸方向を見る
表門門跡、松阪城跡石標
観光案内板「松阪まちあるきマップ」、※写真クリックでマップ拡大
「松阪城跡」案内板、※写真クリックで拡大
山聲-TOP
本丸下段から本丸上段石垣
旅悠遊-三重中部
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき