歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山悠遊-静岡中部
こごうざん せいけんじ |
ルート |
駐車場(11:35)〜清見寺(11:40/13:30)
〜駐車場(13:35) |
巨鼇山清見寺 |
地 域 |
22:興津/北西SW |
概要 清見寺(正式名称:巨鼇山清見興国禅寺)は、臨済宗妙心寺派、本尊は釈迦如来、開山は関聖上人。約1300年前の天武天皇朝の頃、この地に清見関(きよみがせき)と呼ばれる関所が設けられ、その傍らに関所の鎮護として仏堂が建立されたことが、清見寺の始めと伝えられています。平安時代には天台宗でしたが、鎌倉時代になり臨済宗に改められました。室町幕府を開いた足利尊氏は、深く清見寺を崇敬し、江戸時代には、徳川家康が今川家の人質として駿府に滞在した幼少時代に、当時の清見寺住職より教育を受けたと言われています。現在でも、お寺の至るところに徳川家の三葉葵の紋をみることができます。また、江戸時代の朝鮮通信使に関係のある資料なども残されています。方丈裏に国の名勝に指定さた築山池山回遊式庭園があり、本堂の左手には、五百羅漢石像があります。庫裏二階の「潮音閣」からは駿河湾、日本平などが望見できます。 |
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静岡県静岡市清水区 |
標 高 |
20m/10m=10m |
距 離 |
約―km、斜度:max―゜ |
体力度 |
―P、Θ |
山行日 |
2015.02.13、(晴) |
形 態 |
前泊、3名 |
時 間 |
所要02:00/歩行00:30 |
アクセス |
自家用車、03:30 |
備 考 |
特に問題なし |
寺を出る時に、もう一度昔からある山門の階段を見てみました。江戸時代は山門から総門を経て旧東海道まで直線的に繋がっていたのではないか想像する。JRの線路は、掘り割りを利用して鉄道を通したとの説があるようです。だとすると、昔は掘割に橋を架けたのでしょうか・・・・?
寺宝の伽藍図をWEBで見ると、旧東海道から階段はなく、同じ高さで総門を潜ると橋が架かり、樹木があって折れ曲がり、階段で山門に至ります。鐘楼は山門よりも外側に描かれています。
なごりの全景
庫裏妻に掲げられた扁額「潮音閣」
掲載写真のほかに
鐘楼があります
訪問時工事中
勾欄付の立派なもの
庫裏二階「潮音閣」から南側展望
中庭から庫裏大屋根の煙抜き
書院床脇襖絵、彩色が綺麗に残っている
乗輿、徳川家康が陣中で使用
逆さ葵紋の長持、徳川家康手習いの間(三畳)に置いてある
方丈庭園、国指定名勝、築山池泉回遊式、滝が流れ落ち、池に注ぐ
徳川家康が五木三石を配置したといわれます
五木:柿、臥龍梅、柏、蜜柑、?、三石:亀石、虎石、牛石
参考=江戸五木:マツ、マキ、モッコク、カヤ、イトヒバ
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牛石
庭園、馬蹄型の池
方丈扁額「永世考享:琉球王子筆」
扁額の下に扉の肘穴があります、昔はここが外部と面していたのでは
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高山樗牛(ちょぎゅう)の清見寺鐘声文の碑
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南庭からの南側パノラマ
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南庭の瓦畳
咸臨丸碑「食人之食者死人之事:榎本武揚」
五層石塔、奥は山門
仏殿から方丈玄関、右奥に山門
仏殿から山門
後生車(輪廻車、手車石、禊石、浄め石)
五百羅漢像
仏殿左側面
仏殿左正面
仏殿内部、床:四半瓦敷が特徴
仏殿上層扁額「興国」
仏殿扁額「祈祷」
仏殿正面
仏殿と方丈をつなぐ渡り廊下、下を潜り庭園へ
方丈玄関
供養塔:石造二層塔、背面は山門
「田中清左衛門尉長吉逆修」、父親は田中傳左衛門尉長名
田中吉政の家臣で、関ヶ原の合戦で、石田三成を捕縛する大功をあげる
総門からの山門、間にJR東海道本線が通る
庫裏二階「潮音閣」外観
庫裏二階「潮音閣」から方丈を眺める
中庭:鶴亀の庭園
書院長押の釘隠し、葵の彫刻
書院襖引手、葵の彫刻
書院神障子引手部
襖絵揮毫「金門画史狩野内記・・・・」
書院違い棚天袋襖絵(子連れ龍の図、三本指)
長持の葵紋
庭園、中央に滝がある
庭園芭蕉句碑、石の裏に碑文が水に映る
「西東 あはれさ同じ 秋の風」
方丈庭園、右側は書院
額:朝鮮通信使の詩文、この他にもあり
方丈扁額「潮音閣」
方丈内部、廊下は後年の改修で硝子戸が付加
壁には朝鮮通信使の詩文が掲げられる
庫裏玄関の額「洗心」
今回、ボランティアガイドさんに説明を受ける
清見寺鐘声文の碑、奥は方丈
観世音菩薩像
五百羅漢像
五百羅漢像
後生車(輪廻車、手車石、禊石、浄め石)
灯篭の火口から方丈玄関
仏殿基壇を左側面から
方丈正面
境内、方丈
境内、仏殿
境内、五層石塔