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旅悠遊-長野北信
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
とがくしじんじゃ-おくしゃ ルート 妙高市・宿(07:40)〜戸隠神社奥社(08:40/11:30)
〜中社(12:00/昼食/13:30)-鏡池(13:40/13:50)
〜宝光社(14:00/14:30)〜妙高市・宿(17:30)
戸隠神社-奥社
地  域 20n:高妻山/南東SW 概要  戸隠神社は、霊山・戸隠山の麓を中心に創建された二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社。 奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社から成り立っています。旧社格は国幣小社。一説には、現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われますが、九頭龍社の創建は、この奥社よりもさらに古いとされています。伝承では、この地の地主神である九頭龍大神が、天手力雄命を迎え入れたといわれています。当神社の御神体である戸隠山の名称は、天照大神が籠っていた天の岩戸を、天手力雄命が投げ飛ばしたとき、その一部が飛んできて山になったという伝説から生じています。平安時代後期以降は、天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として、全国にその名を知られ、修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山(延暦寺)、高野山(金剛峯寺)と共に多くの修験者や参詣者を集めました。
Mapion 長野県長野市戸隠
標  高 1330m/1207m=123m
距  離
体力度 ―、☆
山行日 2024.09.18、(曇)
形  態 前後泊、3名
時  間 所要02:50/歩行02:00
アクセス 自家用車、05:10
備  考 長い参道:2km
「奥社参道杉並木」案内板、※写真クリックで拡大表示
随神門背面(帰路)
奥社参道・杉並木(帰路)、随神門遠景
奥社参道・杉並木(帰路)、見上げ
奥社参道・杉並木(帰路)、見上げ
奥社参道・杉並木(帰路)
奥社参道・杉並木(帰路)
戸隠山登山口
「戸隠神社・九頭龍社」案内板、※写真クリックで拡大表示
戸隠神社・九頭龍社
戸隠神社・九頭龍社
絵馬・脇社
「戸隠神社・奥社(御本社)」案内板、※写真クリックで拡大表示
戸隠神社・奥社
飯縄社(いいづなしゃ)
飯縄社(いいづなしゃ)鳥居
「奥社院坊跡」案内板、写真クリックで拡大表示
奥社参道・杉並木の根上がり
奥社参道・杉並木の根上がり
奥社参道・杉並木の根上がり
奥社参道・杉並木の根上がり
奥社参道・杉並木の根上がり
奥社参道・杉並木
奥社参道・杉並木
奥社参道・杉並木
「戸隠神社奥社社叢」案内板、※写真クリックで拡大表示
随神門正面神額『随神門』
随神門正面額縁
随神門正面随神像
随神門正面
随神門正面遠景
一龕竜王祠(いっかんりゅうおうし)
一龕竜王祠(いっかんりゅうおうし)
一の鳥居
一の鳥居、下乗碑
奥社一の鳥居(帰路)
「戸隠森林植物園案内図」案内板、※写真クリックで拡大表示
戸隠神社-奥社(おくしゃ)は、祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。中社から車で2.5kmほど車道を登った後、まっすぐ続く約2kmの参道(車両進入禁止)を登りきった場所にあります。途中に、赤い「随神門(山門、顕光寺の時代は仁王門でした)」があり、その奥は、17世紀に植えられたとされる杉並木になっています。神仏分離以前は、随神門より奥の参道左右に、子坊が立ち並んでいました。旧奥院:廃仏毀釈までは聖観音菩薩(現在は長野県千曲市の長泉寺本尊、仁王尊像は長野市の寛慶寺)を祀っていました。戸隠三十三窟「本窟」「宝窟」と言われる中心となる窟が、奥社本殿内部にありますが、非公開なので内部に何があるのかは秘密とされています。
奥社参道(帰路)
「ささやきの小径周辺案内図」案内板、※写真クリックで拡大表示
戸隠神社・九頭龍社
戸隠神社・奥社
奥社二の鳥居
奥社手水場
飯縄(いいづなしゃ)大明神社号碑
奥社参道・杉並木
大乗妙典一字一石写経碑、法華多宝塔
大乗妙典一字一石写経碑、法華多宝塔
「法燈国師母公祈願観音堂・宝篋印塔入口」案内標柱
随神門背面
随神門背面額縁
随神門正面天井見上げ
随神門正面下部
「戸隠神社奥社参拝」案内板、※写真クリックで拡大表示
「戸隠神社信仰遺跡」案内板、※写真クリックで拡大表示
参道口から一の鳥居
参道口、社号碑