今日のことば
1001版:平成22年01月01日 金曜日
千 両 役 者
一緒にいってみたいなこんなとこ
マンリョウ(万両) 
ヤブコウジ科
11月頃に赤く熟して美しいですはヤブコウジ科の常緑小低木。林内に生育し
冬に熟す果実が美しいので栽培されます縮れた濃緑の葉と真っ赤な実が特徴で、正月の縁起物として床飾りや、切り花などにされます。果実は冬を越し、翌年の夏を迎えても残っています
「○○屋」、「ブラボー」、「日本一」などなど
素晴らしい演技者にかけられる声援です
「千両役者」とか「大看板」などと表現し
文句なく優れた人として、尊敬もします
人々は自然と共に暮らす中から
すぐれた人、優れたものにあやかりたい
との思い・願いにことよせ、その気持ちを
花などにたくしました。その好例が「千両」

そこでお正月にちなみ、縁起物とされる木の実を集めました
センリョウなどは、晩秋に鮮紅色に熟す果実は冬の間も落ちずに残っているため、縁起が良いことで正月の飾りに使われます
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜
【 千両役者(せんりょうやくしゃ) 】
  一年に千両もの給金をとる役者の意
  格式の高い俳優、技芸の優れた俳優
  転じて文句なくすぐれた人                 ( 広辞苑 )

2009年秋、二人の芸能人に国民栄誉賞が送られました
誰もが認める、品格・技量・姿勢が揃った人であることは、いうまでもありません
いわゆる「三拍子揃った」役者さんです

では、日常の言葉としてよく使われる【三拍子揃う】は、一体どんな意味でしょうか
昔は「読み、書き、算盤(そろばん)」
女性は「・・・・」 (※セクハラにつながるので表現はつつしみます・・・・)
男性は「仕事、遊び、甲斐」
放蕩者は「飲む、打つ、買う」
服飾は「デザイン、色柄、材質」
飲食店は「味、ボリュウム、値段」、などなど・・・・


スポーツなどでもよく使われ
野球での『三拍子』は「走・攻・守」
つまり、走=走塁、攻=打撃、守=守備、の三つが揃った好プレーヤーをさします
 
「三拍子」の語源は、『能』の世界からです
能の楽器には「太鼓(たいこ)、大鼓(おおかわ)、小鼓(こつづみ)、笛」があり
四拍子です
この笛のメロディーに、囃しかたが掛け声をかけて
太鼓、大鼓、小鼓の三者との呼吸を合わせることから
『三拍子揃える』がきているとされています


それぞれが単独で優れていても、調子が合わなければ意味がありません
技量が劣っていても、調和の取れた演奏により全体としてまとまることがあります
また、三拍子の一つが欠けては、中途半端となり目的を成し遂げられません

「才色兼備」などといわれるように、二者ではなく
三者が揃うことは、たやすいことではありません
天才ならいざ知らず
凡人には、いかんともしがたいところがあります

「一分」の素質と「九分」の努力で、目的が手にできるとすれば
多くの人が、三拍子の揃う名器となれるわけですが
そうは問屋がおろしてくれません

越えなければならない「壁」があるとするならば
信長タイプの人ならば、壁をぶち壊してでも目的に向かうことでしょう
秀吉タイプの人ならば、壁に土を盛り坂道を作って乗り越えるでしょう
家康タイプの人ならば、壁にある門の番人にコネをつけ通してもらうのでしょうか
さて凡人の我が身なら、万里の長城以上の壁がないことを祈り遠回りしましょうか
              (そんな努力ができるのであれば、もはや凡人ではない)
              それとも壁に背を向けあきらめましょうか・・・・
ジュウリョウ(十両)、別名:藪柑子
ヤブコウジ科
百両より背が低く、実は赤い
葉は光沢がありギザギザ
薮柑子は、薮の中に自生していて
葉の形などが柑子(こうじ)みかんに
似ていることから
センリョウ(千両)
センリョウ科
千両は葉の上の方に実をつけるので 鳥に食べ られやすく
名前がめでたいのでマンリョウ(万両)などとともに正月の縁起物とされます
花言葉は「富、財産」
何事も、努力無しに達成できるものなどありません
しかし、世の中広いもので
同じ努力でも、1年で達成出来る人もいれば、10年かかっても達成できない人がいます
これは、いったいなんなんでしょう・・・・

これが素質というものなのでしょうか
生まれつきそなわっているもの、個人の努力ではいかんともしがたいもの
そのように考えてしまうと
次世代に夢をかなえてもらうことも、ひとつの考え方です
よりよいDNA(結婚)を得ることによって・・・・


さて、先に登場した国民栄誉賞の御仁お二人様
ともに共通していることは、「継続」です
一方は1000回に及ぼうという超人的な舞台
かたや2000回という途方もない数字です

なぜこんなに続けられるのでしょうか
演じるものとそれを見るもの
与えるものと求めるもの
あい対峙するものの望みが一致するときに共感が生まれ
次への期待、明日への希望へと、導きの道が引かれていきます


当事者が求めたわけでもなく
為政者が作為的にしたものでもありません
人々が共有する時空の中に
自分以上の存在に
尊敬と畏敬の念を抱いたときに感銘は生まれます
そして人々は、「千両役者」との尊称をおくります

千両とは、いったいどれほどの価値があるのでしょう
お相撲さんに、十両という位があります
給金が年十両あったからといいます(関取としての待遇を受けます)


一両の貨幣価値は
一応の試算として江戸時代中期の1両(元文小判)を
米価、賃金(大工の手間賃)、そば代金をもとに、当時と現在の価格を比較してみると
米価では1両=約4万円、賃金で1両=30〜40万円、そば代金では1両=12〜13万円
また、米価から計算した金一両の価値は、江戸時代の各時期において差がみられ
おおよそ、初期で10万円、中〜後期で3〜5万円、幕末頃には3〜4千円になります
                                   (日本銀行金融研究所)


仮に、賃金換算:一両40万円としますと、十両の関取は年400万円の収入です
そうすると、千両役者は4億円の年収となります
役者の価値を、金銭ではかることなど論外ですが
文句なく、すぐれた人として万人が認めていることは、疑う余地もありません

私たちは、そのような優れた人に
夢や希望・勇気をもらい
怠惰な生活に陥らないよう、刺激と活力をよみがえらすよう、気をとりなおします

私たちは、大自然の前にたたずむと、畏敬の念をいだきます
千両役者を、大自然と同一視など、すること自体無理のあることなのですが
崇高・偉大なものとして、認識することにはかわりありません


私たちは、そのようなものに接するとき、真摯な態度に立ち返り
若きころのあつき想いと情熱、素直な気持ちを、よみがえさせてくれます
そのようなことから、素晴らしい芸術にふれ、すばらしい試合を観戦することはもとより
山好きな私たちが、大自然に触れる「山歩き」をすることは無駄なことではないと・・・・
ヒャクリョウ(百両)
 ※写真がありません
ヤブコウジ科
葉っぱが細長くギザギザがない
千両、万両より背が低い
センリョウの実
マンリョウの白実
マンリョウの赤実
ジュウリョウの実