今日のことば
712版:平成19年12月01日 土曜日
脚 下 照 顧
白樺湖
   車山高原からの俯瞰
山行日:2004.06.05、(晴)
所在地:長野県茅野市
山行に見る 俯瞰の景色
一緒にいってみたいなこんなとこ
みたいな
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
長野
奈良
滋賀
社交場のホステスさんなどによると
客筋を読むのには、まず足下を・・・・
という話を聞いたことがあります
客の身だしなみなどで
本性が一番現れやすいのが
「足下」だということからだそうです
服やアクセサリーで着飾っていても
足下が汚れていたり傷が付いている
気持ちが貧しい人は、足下まで
心配りが行き届かないというものです
真偽のほどはわかりませんが
案外、言いえているようにも思います
私達は、表面的なことにだけに囚われ
性悪の部分は光物で隠していても
所作や言葉の端々に
「お里が知れる」所作が
現れます、すべてはお見通し・・・・

今回の特集は
「脚下を見つめる」にことよせて
山の上から山麓を見つめた風景を
集めてみました「俯瞰の景色」です
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜
【 脚下照顧(きゃっかしょうこ) 】
  真理(正しい生き方、本当のこと)を外にではなく、自己自身の内に求めよ
  足もとに注意せよ、の意                         ( 広辞苑 )

【 照顧脚下(しょうこきゃっか) 】
  禅寺の玄関に、「履物を揃えよ」の意で、この語の木札が下がっています
  難しい道理よりまず日常をきちんとせよ
  禅も茶も、しっかりと地に着いた修業があって始めて成り立ちます
  道元に「仏道は人人脚跟下(にんにんきゃくこんか)にあり」の語がある
  足もとを見よ、の意                    ( 淡交社:禅語大辞典 )

【 看脚下(かんきゃっか:きゃっかをみよ) 】 出典:正宗賛
  禅の極意は、何か特別で遠くに求めるべきものではなく
  日常の中の一挙手一投足にこそあるということ
  真実の自己を見落としてはならない
  足もとに気をつけよ、の意                ( 淡交社:禅語大辞典 )


私達がお寺に行く時といえば
観光や法事の時、寺院の中にあるお墓参りの時ぐらいでしょうか
葬儀にしても、最近は専門の式場で行う場合が多いし
お墓参りにしても、公園化された墓地などにおもむくことが多いようで
お寺に目的もなしに出かけることはほとんどありません

お寺の内玄関に通されると、履物が奇麗に揃えられ
乱雑に脱ぎぱなしということはありません(来場者も公共マナーとして守ります)
他の施設でも、緊張感を持って建物の玄関に入り、履物を揃えて部屋にあがる・・・・
私達日本人には、ごくありふれた風景です


子どもの頃、大人から「よその家に伺ったら、履物を揃えて上がりなさい」と教えられ
玄関の式台・框(かまち)の前で部屋内に向かって立ち
履物を脱いで廊下に上がり
身体を横に向けて(玄関に向かって)しゃがみ
履物を玄関戸方向に向きを変えて(帰るときに履きやすいように)揃えて置く・・・・
そんな履物を脱ぐ作法などがあったのだ・・・・
などと感動したものでした
    (禅寺に行きますと、式台・框と並行に履物が揃えられていることがあります
     履物の向きを変えて揃えることもなく、そのまま上段に上がることができます
     向きを直す手間がいらないので、編集子の家ではそのようにしています)

確かに、履物が揃えられている玄関は、訪問しても気持ちのいいもので
後から来た人は、上がる作法は別にして
履物は前にあるものに並べて置く、という心理になります
その履物を整理するうえで下足箱がありますが
多人数が利用する施設ならいざ知らず、個人住宅などにおいては
一時的なお客さんに、下足箱に履物を入れていただくことは、まずありません


履物が散らかっている玄関にはいると
なんとなく、自分も履物を揃えようとする気持ちも沸いてきません
他人の家という緊張感もなくなり、だらしない自分がさらけ出されるようです
曽爾高原は、山の斜面から盆地状になった所だけに、緑の絨毯を敷き詰めたようです。そこに、異星人が落書きをしたかのように、遊歩道が走っています。 山の反対側は、木々に覆われて急峻です。
住まいの洋風化に伴い、座式生活が少なくなってきました
畳の部屋すらない住宅もすくなくありません、食事にしても椅子式で寝室もベッドです
若い人たちからは、座った生活は血行が悪くなって足が太くなったりする、などと
座ることを善しとされず、敬遠されてしまいます
(確かに座るという行為は身体機能の上からも、負担が大きいと思います)

日本の伝統文化である茶道は、座式の作法が主要な動作です
(近代化に伴い、流礼という椅子式の作法もあります)
点前の作法とともに、席入りの作法まで約束事があるようで
所作を拝見していますと、確かに、履物は乱れていません、整然と並べられています

電車の中で、子どもが座席に靴のまま上がったり
隣の人を靴でけったりなどの行為が目に付きます
そんな子どもに、注意する親はほとんど見かけません
こちらが注意すると、親は逆切れして食って掛かられます

履物を揃えるという行為を、どれだけの方が気を配っているのでしょうか
履物を揃えるということのみならず、日常生活においてマナーの悪さは目にあまります
自分のことをタナにあげて、私たちは人のことを非難します
人の悪口を言ったり批判するのは、いともたやすいことですが
言っている本人の行状を見知っている方は、心の片隅でさぞかし笑っているでしょう
「お前も同じじゃないか!」と・・・・


「人の振り見て我が振りなおせ」という言葉があります
(他人の性行を見て、自分の性行を改めよ:広辞苑)
玄関の履物の状態を見て、多くの人はその状態に反応することでしょう
乱れていればそのように、揃っていればまたそのように・・・・

部屋に入っても玄関と同じような状態が広がっているはずです
躾がなっていない人は
履物を揃えることの何たるかをこれまで知りえなかったことによるもので
恥とも思わないでしょう、いわゆる無知からくるものです
常識が有る無し以前の問題です

自分より人間的にすばらしい人、尊敬に当たる人は
この世に少なからず居られますが、完璧な人など、この世に存在しません
だから人は精進し、修行し、勉学にはげみます

勝ち組になりたい一心でしょうか、社会常識を身につけずに頭でっかちになり
他人を陥れたり、迷惑をかけたり、人に勝つためだけの知識や物事を損得で量り
物事の理を悟ることなく、自分に都合の好い処理ができる能力(悪知恵)が働くばかりで
物事の正邪の判断する心の働きや、人生の指針となるような振る舞いができていません
    正直を忘れ:偽装
    人の迷惑を無視:非常識
    犯罪者に寛容すぎる:再犯再発
    当たり前のことができない:無知無能
    自己中心がはびこりすぎです:利己主義
    おかしいんじゃないのって怒らない:無関心
    躾という言葉自体が忘れられている:公徳心欠如・・・・こんな世に誰がした・・・・


様々な人が(その行動・見識を多くの人から批判される人)私達の回りにはいます
こんな自己中心的な社会の中では、自分自身を律し(公徳心)・・・・、なんて
バカらしくてやってられないという人も出てきます
問題を直視せず、目を背けたり他人に迷惑をかけてしまうのも、当然といえば当然です
それでは、私達の将来は夢も希望もありません
脚下照顧:ひとりひとりが自分自身を見つめ、あるべき姿を見極めて・・・・
「人のため、世間(社会)繁栄のため」と、少しは考えてほしいと願う人も多いはず
次代を担う人たちのためにも、「己を見つめる心」だけは無くしたくはないものです・・・・
曽爾高原 
    倶留尊山からの俯瞰
山行日:2003.05.25
所在地:奈良県曽爾村
北八ヶ岳に位置する円錐形の山容の蓼科山、その秀峰を映す白樺湖。車山高原は、その雄大かつ秀麗な姿を一望にできます。車山山頂からは、低山ながら360度のパノラマが開け、日本アルプスをはじめ、富士山などの山座同定が楽しめます。
竹生島
   山本山からの俯瞰
山行日:2006.09.02、(晴)
所在地:滋賀県高月町
山本山は、古墳時代から開け、平安時代の末期には山頂に城が築かれ、戦略拠点になったところです。頂上は山本山城址があり、もう一人の「義経(山本義経)」が登場するのがこの山です。山頂からの眺望は、眼下には琵琶湖、葛籠尾崎、竹生島、その彼方には比良山地や野坂山系が見えます。黄金色に輝く田んぼ、青い空に浮かぶ白い雲、琵琶湖に浮かぶ竹生島、詩情あふれる景色です。
一部を除き、写真は「山聲十選」に選定したものです
手前の尾根から中央に張り出している尾根が安土山の峰です。一番高所付近に天守が聳えていました。その上に白く光るのが西の湖です。往時は、今以上に湿地帯が広かったようです。左の方向に(南)市街地が広がり、楽市楽座が開かれていたのでしょう。当時、京都以外で一番栄えていた所の一つでしょう。
西の湖では、信長も安土城を見上げながら舟遊びに興じ、天下布武の仕上げを抗争していたことでしょう。
その奥の山並みは、奥島丘陵ともいわれる峰々です。さらにその向こうには、琵琶湖・比良山系と続いていきます。
安土山
 繖山 北尾根からの俯瞰
山行日:2007.01.05、(晴)
所在地:滋賀県東近江市
佐和山
 野田山西尾根からの俯瞰
山行日:2006.12.11、(晴)
所在地:滋賀県彦根市
野田山は、彦根市東部山塊の南西側に張り出しています。山麓には、名神高速道路が山裾を縫うように通り、新幹線が名神に並行して通っています。稜線の一部では、佐和山三山をはじめ、遥か彼方には、伊吹山や金糞岳・横山岳の峰々が望遠できます。
赤坂山山麓
  赤坂山山頂からの俯瞰
山行日:2007.09.26、(晴)
所在地:滋賀県高島市

赤坂山は野坂山地の福井県/滋賀県の県境にあり、マキノ高原を山裾にいだいています。越前と湖西を結ぶ粟柄越がとおり、物資往来の要衝でした。眼下には琵琶湖がひろがりススキの穂をたなびかせる秋風に時間を忘れて佇むことしばし・・・・