池田輝政 系図
清和天皇※0−−貞純親王−−経基王(源経基)※1−−満仲−−頼光(摂津源氏)※2
−頼親(大和源氏)※3
−頼信(河内源氏)
※0:第五十六代天皇(在位:858〜876)
※1:清和源氏の三代目にして、清和天皇の第六皇子貞純親王の子である経基王が
   臣籍降下(皇族の身分を失って臣籍に降ること)により、源姓を賜った
※2:源頼光(みなもとのよりみつ、俗にらいこう、948〜1021)平安時代の武将
   藤原道長につくす。池田家の始祖
※3:系譜には鎌倉幕府を開いた源頼朝・範頼・義経がいる



池田家の始祖
源頼光※2−−頼国−−頼綱−−仲政−−泰政(池田氏を称す)−−(中略)−−信恒※4−−

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−頼平
















−之助
岡山藩二代
岡山藩→因幡鳥取(32万5千石)→以降幕末(分家筋)
−忠雄※10−−光仲※11−−綱清−−(中略)−−慶徳(廃藩)
−長政
姫路藩二代
因幡鳥取→岡山藩(31万5千石)→以降幕末(嫡流)
姫路藩初代
−信輝(恒興)※5 −−輝政※6−−利隆※7−−光政※8−−綱政−−(中略)−−章政(廃藩)





岡山藩初代(28万石)
−忠継※9
岡山藩初代
岡山藩→備中松山藩初代
−長吉※12−−長幸※13−−寄進−−長常(無嗣改易)
※4:織田信秀に仕え、妻が信長の乳母となる
※5:信長の乳兄弟となり厚遇される、池田氏発展の基礎を築く
※6:関ヶ原の軍功により姫路藩主(52万石)となる
※7:輝政の正室(中川氏の娘)の子、姫路藩二代目
※8:姫路藩三代目、因幡鳥取藩に転封、岡山藩に国替(※11との国替え)
※9:輝政次男、継室(徳川家康の娘富子)の子 初代岡山藩主
   葵の紋が許されている、分家筋
※10:輝政の三男、継室(徳川家康の娘富子)の子、岡山藩二代目
※11:岡山藩三代目、因幡鳥取藩国替(※8との国替)、この時三仏寺に寄進
※12:岡山藩主初代
※13:岡山藩二代目、備中松山藩に国替

征夷大将軍は慣例で源氏がなるとされています。徳川家康は、藤原氏を称していましたが、新田家の末裔となるべく系図を借り受け「源朝臣」と 称しました・・・・。一般的にはこのように解釈されていますが、これは関東入府に際しての対策であって反論があるとされいます。いずれにしても、徳川家康は清和源氏を仮冒(かぼう:他人の名をかたること、偽称)し 征夷大将軍と源氏長者に任じられ、江戸幕府を開きました。また、織田信長・豊臣秀吉などを除き、天下の名だたる武将が清和源氏の末裔を名乗っています。
                                 (出典:ウィキペディア、その他)