今日のことば
「十二神将」 本地仏・干支 関係一覧表
大将名 よみ 持ち物
一 例
例1:「薬師瑠璃光
如来本願功徳経」
例2:フリー百科事典
「ウィキペディア」
例3 例4:覚禅鈔
「一行阿闍梨詮集」
毘羯羅大将 びから 三鈷 釈迦如来
釈迦如来
毘伽羅大将 釈迦如来
招杜羅大将 しょうとら 太刀 金剛手
大日如来
照頭羅大将 金剛手
真達羅大将 しんだら 普賢菩薩
普賢菩薩
真陀羅大将 普賢菩薩
摩虎羅大将 まこら 薬師如来
大威徳明王
摩休羅大将 薬師如来
波夷羅大将 はいら 弓矢 文珠菩薩 文殊菩薩
婆耶羅大将 文珠菩薩
因達羅大将 いんだら 地蔵菩薩 地蔵菩薩
因特羅大将 地蔵菩薩 
珊底羅大将 さんてら 法螺貝 虚空蔵菩薩 虚空蔵菩薩
宗藍羅大将 虚空蔵菩薩
あ爾羅大将 あにら 摩利支天 如意輪観音
摩尼羅大将 観世音菩薩
安底羅大将 あんてら 太刀 観世音菩薩 観世音菩薩
安陀羅大将 摩利支天
迷企羅大将 めきら 独鈷 阿弥陀如来 勢至菩薩
彌伽羅大将 阿弥陀如来
伐折羅大将 ばさら 宝剣 勢至菩薩 阿弥陀如来
和耆羅大将 勢至菩薩
宮毘羅大将 くびら 太刀 弥勒菩薩 弥勒菩薩
金毘羅大将 弥勒菩薩
干支の割り当てには、かなりの相違があります。例にあるのは書籍や寺院の配列によるものですが、例2では逆さま
例3では配列はバラバラで、「掃除の時に名札を置き間違えた」という、笑い話のような話もあるよう
で、統一性はない
522版:平成17年10月12日 水曜日
 有 頂 天
大台ヶ原
山行日:2003.10.26、(晴)
所在地:奈良県上北山村

ここは大台ケ原の絶景ポイント
大蛇ー(だいじゃぐら)です
彼方に横たわるのが
山脈です
手前の連峰が天川村域で
大普賢岳などがあります
奥の山並みは大塔村・十津川
村域で釈迦ヶ岳などがあります
なお、当の大蛇ーは
人が岩にたむろする鎖の先に
こんもりと突き出た山塊がそれ
ちなみに写真のこの地域は
台高山脈に立地しています
山行に見る 峰・嶽・山
一緒にいってみたいなこんなとこ
みたいな
【 有頂天(うちょうてん) 】
  仏教の世界観によると、三種の世界、すなわち欲界・色界・無色界があり
  欲界は、六欲天ともいい、六つの天
(四王天・とう利天・夜摩天・とそつ天・化楽天・他化自在天)
  色界には十七の天、無色界
(受・想・行・識の四蘊(しうん)だけで構成する世界)には四つの天
  それらの最上の天が、非想非非想処天
(ひそうひひそうじょてん)です
  そこは、想いがないのでもないという瞑想の境地で、あらゆる存在にとっての最高の境地である
  この天は、また「有」、すなわち存在するものの中では頂天ということで、有頂天という
  転じて、この世における最高の神のこと、「有頂天になる」とは
  有頂天にのぼりつめるように、物事にはなはだしく熱中して、他をかえりみないこと
  何かに心をうばわれて、他のことをかえりみない状態をいう  (小学館:暮らしの中の仏教語)

私たちが行動をするときには、意識的に行う場合と、無意識に行う場合があります
意識的でありますと、自分を見失ったり、我を忘れることなどはありません
しかし、興が乗ってきたり、物事があまりにもうまく運んでいくと、夢中になり
まわりへの配慮に欠け、無意識のうちに、思いもかけない行動を起こすことがあります

以前、パチンコ店などで、赤ん坊を車の中に置いておき
ゲームなどに夢中になって、そのことを忘れてしまい、大騒ぎになるという事例がありました
これなどは、「有頂天」の意味である、熱中して他をかえりみない点では符合していますが
ものごとに熱中する以前の問題で、あきれて物が言えません・・・・
最近は、このような話を聞きませんが、パチンコ店にも、保育室が出来たのでしょうか
ところが近頃は、犬猫を車に積んでドライブに出かける人も増えてまいりました
ファミリーレストランなどで、暑い車の中で、のた打ち回っているところをよく見かけます
犬猫にとっては、えらい迷惑だと思うのですが・・・・

本題にもどります
自身の行動において、第三者から褒められたり、認められたりすると
普段の理性の囲みが解かれ、得意の絶頂にいたります
例えば、無理と思っていた試験に合格したり、勝てるはずの無い試合にかったりすると
まわりの状況などおかまいなし、手放しでよろこびます、今までの苦労がむくわれる一瞬です
そして、その喜びが過剰反応を起こし、さも自分の実力があるように錯覚をしていきます
いわゆる「有頂天」のモードに突入です

当初は、まわりの人に感謝もし、謙虚な姿勢ですが、徐々に、その人となりが変わってまいります
すべてが自分だけでなし得たものと錯覚し、自信過剰になり、そして、自慢・高慢・・・へと
鼻持ちならない人種へと変貌していきます、心いたしたいものです・・・・


夢中になるものを持つ、持てるということは幸せなことだと思います
目的意識も無く、ただ、時間だけが過ぎてゆくというのはむなしいものです
仕事にしろ、趣味にしろ、日常生活の一コマ一コマにおいて意識できるものがあれば幸いです
体の具合が悪かったり、空虚な意識に陥っていますと
気力もなえ、何も手に付かず、いたずらに時間を消費していくだけです
その観点からすると、「有頂天」になれる(浸れる)人は、幸せなのかもしれません


私たちは、山行を通じて、充足感や達成感・満足感などを感じることが可能です
「有頂天」になる要素はあまりありませんが、山談義になると、話が弾み
危険なところをいかに通過したとか、長い距離を踏破できたとか、いくつ山を制したとか
はては脚色したり、自慢に及ぶ場合があります、これも一種の「有頂天」かもしれません
しかし、現実は、しっかりと次の回答を用意しています、もう一度基礎から・・・・と
閑話
山岡荘八による歴史小説「徳川家康」では、
母:於大の方が家康の出産に際し、この寺(鳳来寺はこのとき、松平家において、安産の祈願をしていたといわれます)に祀られている仏様のうち、寅年の守り神:普賢菩薩の化身である真達羅大将(しんだらたいしょう)が忽然と姿を消しました。家康は、寅の年・寅の日・寅の刻に生まれ、その(仏様の)生まれ変わりという逸話が作りだされています。ちなみに、三代将軍:家光によって東照宮が寄進されています。ところが困ったことに、造営当時、この東照宮は天台宗に属し、本尊のある薬師堂は真言宗であったため、両者の争いが絶えず、明治になって、一山真言宗に所属することにより、その軋轢が解消されたとか。
そこで、十二神将と干支と本地仏との関係を一覧表にしてみました。ご参考までに・・・・
鳳来寺(ほうらいじ)
山行日:2002.07.06、(曇/雨)
所在地:愛知県鳳来町
 鳳来寺は鳳来寺山の山頂近くにあり、信仰のお山です。「有頂天」との関係は、この寺のご本尊と関係があります。「の薬師」として、尊崇を集める薬師如来が、本尊として安置されています。他に、この寺を有名にさせているのが1425段の石段と仏法僧です。深山幽谷の雰囲気ともあいまって、多くの信者やハイカーが訪れます
(よしみねじ)
山行日:2002.11.19、(晴)
所在地:京都市西京区

西国札所の二十番
応仁の乱(1467〜77)の際に
兵火を受けて焼け
現在の諸堂の多くは
徳川五代将軍綱吉の
母である桂昌院の
援助によって再建されたもの
だと言われます
「遊龍松」で有名ですが
紅葉も見事です
特に、奥の山腹などは・・・・

山行日:2005.06.18、(晴)
所在地:滋賀県木之本町

横山岳を含む湖北の山々は
山岳信仰の霊場として
古くから開けた所です
頂上は双耳峰となっていて
途中には、滝もあり
登山の疲れを癒してくれます
写真は南側の
三高尾根にある望横ベンチと
名づけられた位置からのもの
本山
山行日:2001.08.05、(晴)
所在地:滋賀県高月町
 うしろから読んでも「山本山」
写真は琵琶湖の北湖に浮かぶ
竹生島を山上から眺めました
対岸(湖西)の峰も望見できる
この場所は、かつては
古墳や城跡がある史跡でもあります
湖岸にこんもりとした
秀麗な山容を誇示しています
この写真は、御嶽山の山麓を一周したときのもので
飛騨小坂から濁河温泉に向かう山岳道路の展望所から
撮影しました。雪がわずかばかり残る新緑の頃でした
県名
印の県に「目的地」があります
山葵の山行まっぷ
奈良
京都
愛知
滋賀
岐阜

山行日:2005.05.11、(晴)
所在地:岐阜県下呂市小坂町
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
(やまかど)水源の森
山行日:2005.06.24、(晴)
所在地:滋賀県西浅井町
 滋賀県と福井県の県境
野坂山地にある湿原です
この一帯は
かつて開発の危機に
さらされていましたが
滋賀県が買収・公有化し
保安林に指定され
ハイキングや湿原の観察など
保護地域として一般に
公開されました
「日本水源の森100選」に
選ばれています
山呼らいぶらり〜
(じゅうぶざん)
山行日:2003.11.22、(晴)
所在地:京都府和束町

丘陵部には茶畑が広がり
登山道からの展望も抜群です
山頂部には、金胎寺があり
西の叡山とも呼ばれる
修験道の地でもあります
約2時間程の行者めぐりは
一般にも開放されています
頂上には宝篋院塔が立ち
北の方角には
比叡山や琵琶湖が展望できる
信仰のお山です
その山で
高いところに行く・・・・・・・・山頂
一番高いところに行く・・・・頂上
山行にとってはいつも意識することです
登頂を目的としない山行もありますが
一歩一歩大地をふみしめ
自分の意思で頂を目指します
重い荷物を背負い、自分の身体を
自分で持ち上げるという行為は
体力・気力・決断力を必要とします
山行は、日常的ではありません
それゆえに、自分より高いものが
まわりに無いという状況下におかれると
人生観が変わる要素も存在しています
空(天)に近い頂に居る(有る)自分は
すなわち「有頂天」
そんな身体に恵まれたことに感謝・・・・
今回は、山には必ず有る「頂天:山頂」に
ことよせ、峰・嶽・山を冠する山行に
焦点をあててみました