紀元前、太公望は
自分を見出してくれる
運命の人との出会いを
釣糸を垂れてそのときを待ちました
人の出会いは時代をも動かす
大きな力を秘めているようです
私たちも
スケールの違いはありますが
上司や先方の意気に感じて
持てる力を発揮するときがあります
それも出会いがあればのこと
素敵な伴侶との出会いだって
そうではないでしょうか・・・・
でも、一生の不作だってあるはず
その為にも、己の識眼力も大切・・・・
今回は
太公望が釣糸を垂れた水面にちなみ
山行で眺めた水面(池)に
焦点をあててみました
太公望といえば、中国・殷の時代の軍師として知られていますが
日本では魚つりをする人の代名詞としてつかわれます
  ※太公望(たいこうぼう):周代の斉国の始祖、本姓は姜(きょう) 、字は子牙、氏は呂、名は尚
彼に関するエピソードは、『史記』(中国の史書:司馬遷著;紀元前91年頃に完成)に
記述されているものが、故事として伝承されています
その一 『 ある日、周の文王は猟に出る前に占いをして
       その日の占いでは、今日の獲物は虎でも熊でもなく、名宰相である、と出た
       はたして文王は渭水の浜に釣糸を垂れている太公望に出会い
       彼と語り合ってその人物を確かめ、連れて帰って師と仰いだ
       後に文王は太公望の策を用いて殷を滅ぼし天下をとる 』

これをして
自分の策を用いてくれる君主を釣竿でつり上げた太公望は、天下をつり上げたとも言えます
ここから、日本では釣師の異称として定着しています
その二 『 太公望・呂尚は、長い年月読書してばかりの貧乏暮らしを送っていた
       その日の食事にも事欠くありさまであったので、耐えきれずにその妻は離縁を求めた
       太公望は妻に、いつか楽をさせられると説くが妻は信用せず、やむなく離縁を認めた
       やがて太公望は周の文王に見いだされ、周の軍師となって殷の国を滅ぼす
       その功績により、太公望は武王によって斉の国の諸侯に封じられる
       斉に向かう途中、別れた妻が突如太公望の前に現れ、復縁してほしいと言った
       太公望は、その妻に、盆に入れた水をひっくり返して見せる
       そして、別れた夫婦というものは、この水のように戻すことはできないのだ、と説く 』

これが良く知られている「覆水盆に返らず」という故事です
このことから、「別れた夫婦は元通りにならない」ということに解釈され
さらに転じて、「すんでしまったことは取り返しがつかない」などの意味に用いられます


よく、私たちは適材適所(人を、その才能に適した地位・任務につけること)という言葉を用います
事を成すに際し、その事業が大きければ大きいほど関わる人の数も多くなります
その中には、才能豊な人もいれば、存在そのものが邪魔、というやっかいな輩もいます
スタッフをその用い方ひとつで、事業が成功するものも、失敗に終わる場合だってあります
有能な才能を埋もれさせるのは、その事業にとって大きなマイナスともなり
本人にとっても、充分な力も発揮できないところでは、不本意でもあり大きな損失です
当事者は、事業の目的やトップの考え方に賛同し、意気に感じて実力を遺憾なく発揮できる・・・・

また、逆に本人が自分の器を知り、自分を必要としているところに高く売り込む事もあると思います
長の器や補佐の器、士官の器など、各々の器どまりの人や、すべてに力を発揮できる人も居ます
長では萎縮していまい存分に力を発揮できないが、補佐の役に回ると水を得た魚のように活躍し
宰相のポストにつけると、人心掌握が見事で担当者を存分に力を発揮できる環境つくりができる人
などなど、初対面で見分けられる場合もあれば、長年の付き合いで存在能力を引出す場合もあり
そのために面接を行ったり、酒を酌み交わし、その人となりを垣間見ることも必要になってきます

太公望も齢70にして王侯に見出され、ふさわしい地位を得て遺憾なく力が発揮できたのでしょう
しかし、それまでの間、なぜ釣糸を垂れ続けていたのでしょうか
自分から行動(就職活動)をせず、待ちの一手では事態は一向に変わらなかったと思います
ましてや、王侯が釣糸を垂れているところに通り合わせていなければ、出会いもなかったわけです
しかし、出会いがあり、そして見出された。これが、運命・因縁というものだったのでしょう・・・・
何れにしろ、太公望が光を放つ器量であり、一方の王侯もその光を見抜ける度量だったのでしょう
私達は、そんな光(才能・実力・謙虚・等々)を、備えておく努力を惜しまないようにしたいものです
菅山寺 朱雀池
山行日:2003.06.22、(曇)
所在地:滋賀県余呉町
 木之本と余呉町の境に峰する呉枯ノ峰の途中に位置し
登山道から
100mほどの急坂を下ると
菅原道真に所縁のある菅山寺
正面の林の中にあるお堂は
近江天満宮です
山深いこの池には
モリアオガエルが卵を産みつけ
水面には蓮が浮かび
神秘の様相を呈しています
でも、写真ではわかりませんが
「蚊」の大群に悩まされます
閑話
歴史書に記載されている内容は、「勝者の歴史だ」とは、良く聞くことばです。いろんな歴史書を見ていると、その時々の権力者に都合の良い解釈で話が進んでゆきます。逆に、敗者の側からみると、勝者の引き立て役で、行為を正当化するために都合の良いように脚色されます。今回、登場しています「史記」においては紀元前に編纂されたもので、日本では縄文時代の出来事。更に下って三国志や邪馬台国のことを論ずるときは「魏志」において登場します。真偽のほどは定かではないかもしれませんが、古代を探るバイブルのような存在として重要なものです。
三周ヶ岳 夜叉ヶ池
山行日:2004.07.11、(曇)
所在地:岐阜県揖斐川町
          旧坂内村
 岐阜・福井・滋賀の
県境近くにある夜叉ヶ池
モリアオガエルやイモリなどで
知られる、貴重な山上池です
写真の右方向には
山行の目的地の三周ヶ岳へ
反対の左側へは三国岳へと
登山道が延びています
したがってこの池は
山行のオアシス的な存在です
なお、夜叉ヶ池までの山行
だけでも充分満足できます
県名
印の県に「目的地」があります
山葵の山行まっぷ
一緒にいってみたいなこんなとこ
山行に見る 山上の水面
岐阜
京都
富山
滋賀
515版:平成17年8月7日 日曜日
みたいな
京都北山 菖蒲谷池
山行日:2003.11.13、(晴・雨)
所在地:京都市右京区
 山陰線嵯峨嵐山駅から
高雄方面(写真上方向)に
向かってひたすら歩いていくと
この池に出会います
池の上に八橋が掛かり
洛北という土地柄の雅な
風情をかもし出しています
ここから、紅葉の名所である
栂尾・高雄・槙尾の三尾を
はじめ、清滝・保津峡を目指し
歩をすすめてゆきます
この年の紅葉は最悪でした
山呼-リスト
今日のことば
太 公 望
御嶽山 三ノ池
山行日:2002.08.11、(雨後晴)
所在地:岐阜県三岳村
 夜間登山を目的に
出かけたのですが
前夜から雨、早朝02:30
小康状態の中出発
一時は朝日が出たものの
すぐ隠れてしまい
8合目から突風を伴った雨
あまりの激しさに大岩に避難
山頂で1時間休憩の後
次第に天候が上向き
三ノ池に辿り着くと同時に
神秘のベールが解かれました
立山 ミクリガ池
山行日:2002.09.08、(曇)
所在地:富山県立山町
 室堂にあるミクリガ池に写る
立山の雄姿です
風があったのですが
うまくさざ波がおさまりました
この山行は、軽度な車椅子使用者の方が、黒部立山アルペンルートの縦走観光を経験したい、との熱望から、もう一人の介助者の協力と、各交通機関や乗り合わせた乗客の皆さんのご協力とご理解のもと、実現したものです。なお、池への案内はとても無理でした
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜