八百万の神々といわれた
古代信仰・自然崇拝の時代から
多くの神様はいずこにもおわします
人々は、身の回りのすべてのものに
畏敬の念を抱いていました
生を営む上で、そのうちの最小限の物を
神の恵みとして頂戴し、利用してきました
(現在は、利用し尽くして、枯渇が問題)
そして宗教が生まれ、各地に伝播し
人心を掌握するため
為政者は宗教を利用しました
進んでか渋々かはわかりませんが
人々はそれを受け入れるなかで
観音信仰や七福神信仰、などなどが
盛んになりました
多くの人はそれらを信仰・信心することで
現世利益、すなわち、苦しみから逃れ
自分を含め、皆の幸せを求めたのです
そして、他界してからも・・・・
私たちは、一つ間違えば身の危険と
隣り合わせの社会にいます
どこにいれば安全かは
予測なんてできません
そんな心の中に、ごく自然に
神様・仏様・大黒さま・・・・と
私達は信心・不信心に関わらず
その存在が口からついて出ます
不信人者はその人なりの宗教感
すなわち自分経があるのでは・・・

今回は、「大黒様」にちなみ
山行でお出会いした
「七福神」さまたちに
お出ましをいただきました
(七柱すべてお揃いでは
 ありませんのでご了承ください
 中にはオヤジギャグも・・・・)
2005年、サッカーのワールドカップ・アジア予選で
日本代表のフォワード:大黒(おおぐろ)選手がゴールを決め、本選への出場権を獲得しました
一躍、サッカー界の寵児となり、サッカー音痴の辛草も名字だけは知るところとなりました
文字通りの大黒柱※のような存在とか・・・・
(※大黒柱・大極柱:特に太い柱、転じて家や団体の中心となっている人)

さて、その大黒様なのですが、辛草所蔵の資料を改めてひも解いてみました
【 大黒(だいこく) 】 
  大黒天の略。梵語、マハーカーラの音訳語で、偉大な黒い者の意
  本来は、シヴァ神(※ヒンドゥー教の三神の一)の眷属でしたが
  (※シヴァ:破壊神、ブラフマー:創造神、ヴィシュヌ:守護神)
  大黒天として仏教に取り入れられて守護神となり
  のち、厨房の神となり、日本では七福神の一つに数えられます
  そして、わが国の大国主神(おおくにぬしのみこと)と習合して民間の間に浸透しました
  大黒天が厨房の神であることから、僧侶の妻を「だいこく」と言うようになりました
                                    ( 小学館:暮らしの中の仏経語 )

世の中には、他人に干渉されることを好まずに独立独歩で歩む人や
他人に依存しなければ歩いてゆけない人など、さまざまな性格の持ち主が居られます
そんな色んな性格の人が集まって一つのことをなそうとすると
目的や行動に際しての約束事など、個人の意志や行動を束縛することも必要になってきます
目的を遂行するなかで、個人が思い思いに勝手な行動をすると
集合体としての力が低下し、目的が成しえないことも生じてきます

そこで、柱になる人が必要になってきます
その柱は、「キャプテン・チーフ・リーダー・代表・議長・カリスマ・亭主・大黒・・・・」などなど
さまざまな表現でなされています
その人の存在で、団体やグループの方針もスタイルも変わっていきます
先年、世界を震撼させた宗教法人や集団がありました
近頃も、世間を騒がせているグループがあります
統制が布かれている国ならいざ知らず、思想や言動・信教が自由な国ですから
何をしてもかまわないと、いうわけではないはずなのですが
世間には、思いもかけない考え方や行動をする人もいるようです
小さなグループであるうちはいいのですが(芽を摘み取りやすいが、人権無視への危険性も・・・・)
そのグループを利用し、権益を得ようなどとの思惑から、援助や煽動をする人がでてきます
そして、反社会的な集団や団体に成長し、多くの人に対し災難を降り掛けます
前出のヒンドゥー教の神様は、創造・破壊・守護の神々で、いわゆる「三位一体」の神々です
その存在が正しく理解された時に幸せが生まれます
同教に限らず、神仏は民衆の間で習合・神格化され、心の中や偶像として存在し尊崇されています
しかし、誤った解釈や、洗脳されたりすると社会との摩擦が生じ、不幸せへの一歩を踏み出します

本来、宗教とは、人々のこころ(心・意)のよりどころとなるものだと思います
気候風土によって、数多の宗教・教義が存在しますが、信者はそれぞれが唯一だと思っています
唯一と思われている各宗教の教義は、その多くが人々の幸せを願う思いがこめられています
なのに争いが絶えないのは、柱となる者の考え方や性格などに大きく影響されているからでは・・・・
世のリーダー(柱)が、すべて大黒様だったら・・・・
そんなことはない、か、恵比寿さんや布袋さん、弁天さんたちもおいでです
私達の側には、山ノ神や大黒様たちがいてくださるのですから、幸せになれるはずなのですが・・・・
我が暮らし一向に楽※にならず(※楽:楽しい・愉しい。経済面はもとより、社会不安も含めて)・・・・
布袋(布袋和尚)
山行日:2005.03.07、(晴)
所在地:京都府宇治市

明朝様式の伽藍で知られる
黄檗山萬福寺の
天王殿に鎮座まします

この布袋さんの
お腹をながめ続けていると
今までの悩みやストレスが
消えてしまうような気持ちに
させられてしまいます
「ちいさい、ちいさい〜」と・・・・
毘沙門天
山行日:2004.01.31、(晴)
所在地:滋賀県彦根市

長寿院の楼門(二天門)に安置されています
仁王門でいいますと
吽形像の指定席(向かって左側)に
安置されています
ちなみに右側は堅牢地神※(けんろうじしん)
(※十二天の一、大地をつかさどる神)
みたいな
514版:平成17年8月1日 月曜日
山行に見る 七 福 神
一緒にいってみたいなこんなとこ
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
今日のことば
京都
滋賀
七福神の七柱

  大黒天   :富財
  恵比須(蛭):正直
  毘沙門天  :威光
  弁才天   :愛敬
  寿老人   :長寿
  福禄寿   :人望
  布袋     :大量
弁才天
山行日:2004.01.31、(晴)
所在地:滋賀県彦根市
 長寿院の弁才天堂に
安置されています
「財」と「才」
後世になって弁才天の「才」は
「財」とされたようですが
寺院の表記では「財」
文化財保護の看板では「才」
いったいどちらが・・・・
※編集子の解釈
神仏としてあがめる場合は「才」
現世利益として祈願する場合は「財」
人間て勝手なものですよね・・・・
山呼-リスト
福寿草
山行日:2002.03.02、(晴)
所在地:霊仙山麓


花言葉は、永遠の幸せ
「福禄寿
  禄を取ったら 福寿草」
オヤジギャグでご免・・・・


福禄寿は、元々は中国の道教の神様で、人の命をつかさどる南極星の神様と言われます。
また、福禄寿の福は幸福、禄は高給、寿は長寿につながるといわれます。
寿老人と福禄寿とは同一神という説もあります。
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
大 黒 様
弁天さんは女神

弁財天はどのような仏様
 音楽・弁才・福智・延寿・除災・得勝をつかさどる天。妙音天、美音天とも称する
 梵語のサラスヴァティーで、「湖に富む」を意味する。もと河川を神格化もの
 吉祥天と混同し、福徳賦与の神として弁財天と称され、わが国では七福神の一として信仰された
 水神信仰と結んだ弁才天は、室町時代に至って七福神の一つとなり
 延命・福貴といった現世利益祈願の対象となっていった
 弁才天の才を財に置きかえて書かれるのも、この様に福神化した弁才天を示すものといえる

弁才天の「天」とは
     仏像はつぎの四種に大別されるのが普通である
     如来  釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来、他
     菩薩  観音菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩、他
     明王  不動明王、五大明王、愛染明王、孔雀明王、他
     天    帝釈天、持国天、増長天、広目天、多聞天、他

天:仏教で説く世界は
     中心に須弥山(しゅみせん)があり、周囲に九山八海がある
     その一部が我々人間の住所である
     仏教に編入された諸天は、この世界のあちこちに配置されている

インドで起こった仏教は
     日本にたどりつくまでに長い時間をかけ、様々な神を包摂していった
     仏・菩薩がすでに複合的な性格を持ち
     明王や天の諸尊が諸宗教の神々を習合することになった
     すなわち、神は仏の守護神であるという学説ができあがる

七福神
     七福神信仰:色々な福富を授けてくれる七柱
     七福神のいくつかの仏も、この天に含まれる:大黒天、毘沙門天、弁才天
     仏様以外に蛭子(恵比須)、福禄寿、寿老人、布袋(布袋和尚)がある

平成11月28日に、佐和山を山行したときに、途中にある長寿院の弁財天にご機嫌伺いをした際
同行者から、弁財天とお稲荷さんのお使いである狐が同じ境内の中に同居されていることについて
「なぜ、ここに狐が?」という疑問が出されました
帰宅後、眠れないので『神々の使わしめ 大洞弁財天の謎』という見出しでレポートを作成しました
これは、そのうちの「弁才天」に関するくだりです、ご参考までに・・・・
大黒天と毘沙門天のお住まい
長寿院-楼門
山行日:2004.01.31、(晴)
所在地:滋賀県彦根市
 この楼門には(写真上)
2階には大黒天が安置され
1階には毘沙門天が
安置されています
その証明が左の看板です
※仁王像が安置されれば
  仁王門と称されます

それぞれの郷土には
篤い信仰に裏打ちされた
文化財が残されています
山呼らいぶらり〜