今日のことば
横山の一刀石
山行日:2004.01.12、(晴)
所在地:滋賀県長浜市

一刀の元に切られています
みごとというほかありません
片割れは何所へいったのか
石の側に標識があり
「1190年(丙寅)3月18日の夜
雲中遥かに光明赫耀として
此の横山の嶺石上に飛来す
里人飛天神と称す」
とありました
光明赫耀(かくよう)とあるのは
すい星のことなのでしょうか
切った張本人は・・・・
心 頭 滅 却
一緒にいってみたいなこんなとこ
436版:平成16年12月9日 木曜日
「心頭滅却・・・」とくれば
歴史ファンならずともすぐに思い浮ぶ言葉は、「火もまた凉し」です
あまりにも有名な言葉ですが、私にとっては、やはり「火は熱いもの」でしかありません
具体的な「火」を指しているのではないとはわかっているのですが
そこはそれ、凡人の凡人たる所以です
そもそも、この言葉が知られるようなったのは
織田勢に武田氏が攻め滅ぼされたとき、禅僧快川が、火をかけられた甲斐の恵林寺山門上で
端座焼死しようとする際に発した偈
(げ)と伝えられています
火災に遭った山門は、その後徳川家康によって再建され、左右の聯
(れん)には
「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」という快川和尚の遺偈
(いげ)がかけられています
そのうちの

【 滅却心頭火自凉(しんとうをめっきゃくすればひもおのずからすずし)が広く知られています
  無念無想の境地に至れば火さえ涼しく感じられる
  どんな苦難に遇っても、その境涯を超越して心頭にとどめなければ、苦難を感じない


     恵林寺(えりんじ)は、1330年に二階堂貞藤が夢窓国師(疎石)を開山として創建
     その後は武田信玄が菩提寺として外護した甲州屈指の名刹でした
     この間、夢窓国師の弟子をはじめ、鎌倉五山派、京都妙心寺派の高僧が多く住持し
     甲斐臨済宗の中心的な存在であったといわれています

                    ( 広辞苑、淡交社:古寺巡礼、門川書店:日本史探訪、他 )
伝えによりますと
  武田氏を亡ぼした織田勢は、武田家菩提寺のこの寺に押しよせ
  近江の佐々木承禎など、同寺に潜伏保護されていた者を召喚しようとしたが
  当時の住職であった快川紹喜は、これを拒否、時に天正10年(1582年)4月3日
  三門楼上に、快川はじめ僧侶ら百余人がとじこめられたまま、全山焼かれることになった

といわれています(余談ですが、織田信長は2ケ月後の6月2日夜、本能寺の変で没)

苦難の境涯を超越して、生きるみちの選択肢がなかったのか・・・・当時、現場は
織田勢は僧侶らを山門に追い上げ、残忍にも寺の周囲に薪を積んで火をかけ
さらに、山門の四方には軍兵が槍や刀を構え囲んでい
た・・・・とされています
こんな状況下ではたして生きのびるみちがあったのでしょうか
タイムスリップができれば確認してみたいものです
ところで、つい先ごろまでは、サラリーマンは終身雇用制で
定年まで仕事を続けることができ、サラリーマンが「気楽な家業」と揶揄されてきましたが
規制緩和が各方面で大規模になされ、海外の経営手法も導入されたことなどから
一転して、勤労者は収入が増えず、雇用も安定せず、厳しい状態に置かれることになりました
僧快川にはおよびませんが、サラリーマンも苦難の境涯に置かれているのですが
走りつづけてきた車が急に止まれないのと同じで
便利さを追求し、快適さに甘んじてきたわが身を、昔の生活レベルにもどすことはできません
いま、しきりに言われる「ゆっくりズム」のレールに乗り換えられないのです
「火もまた凉し」ということなどとてもできませんが、「火に入らない」方法で乗越えられれば
と思います、そのためにはどうすればいいのか、方策はまだ見つかりません・・・・
八ツ尾山の一刀石
山行日:2004.12.02、(晴)
所在地:滋賀県多賀町

八ツ尾山山頂直下にあります
気温の変化により
割れたものと思いますが
一刀のもとに切られたようです
ごらんの様に同じ方向に
傾いて切られています
いわゆる袈裟懸けです
精神集中、鍛錬のたまもの
偶然にしては出来過ぎ・・・・
日野山の一刀石
山行日:2003.10.18、(晴)
所在地:福井県南条町
奇岩:弁慶の三枚切
あの弁慶が力を試すために切ったとか
太郎坊の一刀岩
山行日:2004.04.07、(晴)
所在地:滋賀県八日市市
太郎坊宮のシンボル男岩と女岩、巾は狭い所で80cm
スケールの大きな切り口です
県名
印の県に「目的地」があります
山葵の山行まっぷ
山行に見る 一刀両断
福井
三重
滋賀
みたいな
「無念無相の境地」
剣豪小説によく使われる言葉です
現在でも、心技一体、精神統一などと
スポーツに際してよく使われています
文系の辛草としては
どちらかというと
馴染みのうすい言葉です
しかし、山野を歩いていると
気を緩めるととんでもないことになる
危険性が潜めいています
それなりに、恐怖心を緩めたり
高揚心を押えたりと、気力の充実が
必要な場合があります
山野に入りますと、自然でありながら
あたかも剣豪の手によって
一刀両断のもとに切られたような
形跡のあるシーンに出会います
今回は、そんなシーンを
アルバムから選び出しました
岩篭山の一刀石 (写真再掲)
山行日:2002.10.10、(晴)
所在地:福井県敦賀市

岩篭山の山頂部に
インディアン平原と呼ばれる
台地上の所に
この岩はあります
見事に半分に切られています
山仲間が
まるでインディアンの頭飾りだ
と、言いえて妙であります
この岩の傾きを
覚えておいてください
山呼-リスト
御在所岳の一刀石
山行日:2004.05.27、(晴)
所在地:三重県菰野町

この山には奇岩が多く
この岩もその一つ
「負れ石(おぼれいし)」と
呼ばれています
四角い石が同じような石に
寄りかかっています
登山道は
この石の間を潜ってゆきます
※ご参考までに
このコラムは
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カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜