「との」ではありません(今回の場合)
殿」、これだけを見て「しんがり」とルビをうてる人は、相当な歴史ファンだと思います

【 殿 (しんがり)
    ・ 軍隊を引き上げる際、最後尾にあって、追って来る敵を防ぐこと。また、その部隊
      あとぞなえ(後備え:後方に備える軍勢、あとおさえの軍勢、のちぞなえ)
      しっぱらい(尻払い・後払い)
    ・ 隊列・序列などの最後のもの。「−に控える」               ( 広辞苑 )

よく例として、引き合いに出されるのが
豊臣秀吉の立身出世物語の中で有名な、信長による朝倉攻め時の殿(しんがり)軍志願です
――時は元亀元年(1570)4月
朝倉義景討伐を企てた織田信長が、越前に攻め入ろうとした、その時
近江浅井氏裏切りの報が・・・・
(小市の方の小豆の袋の密使は史実か、はたまた脚色か?)
不意を食らった信長は、直ちに金ヶ崎を撤退し、近江の朽木谷を越えて
ほうほうの体で京都に逃げ帰ります、従う者も僅か十人余りという有様でした
この時の殿(しんがり)軍を勤めたのが木下秀吉でした
(合戦で、負け戦となった側は退却をしますが、その際、退却する自軍の一番うしろに就いて
敵の追撃を防いで見方を安全に退却させ
かつ、自分たちも退却するという、割に合わない仕事をさせられた部隊、これを殿(しんがり)と呼んだのだそうです)

彼以外にも、多くの武将がこの戦いに従軍していました
代表的なところでは、明智光秀や佐々成政などがおり
さらに、徳川家康も一軍を率いて、この殿軍の中に居たと記録にあります

(当然、この「殿(しんがり)」は、生きて退却できる確率はとても低く
「殿(しんがり)を務めよ」という仰せ(命令)は、「死ね」といわれているのと同じことでした)

最終的に作戦(退却)は成功し、4月末には主だった武将が京都へ帰還しますが
1,300人以上が犠牲になったという、悲惨な作戦になっていました
後世、「金ヶ崎退き口の功名」として知られています
(「金ヶ崎」は、現在の福井県敦賀市北部にあたります)
現在、私たちが社会生活を営む上で「殿(しんがり)」を受け持つ場合
先の生死を伴う行為としては存在しませんが
集団の最後尾に就き、全員の行動完遂の確認をする任務として、それなりの責任が伴います
現在の殿(しんがり)は、後方からみんなを支える意味合いが多く
「後詰(ごづめ)」の考え方もあるようにも思います。その上で、殿を選任される条件として
組織の行動の目的を認識し、誰からも信頼され、不測の事態に対応できるなど
経験に裏打ちされた的確な判断力、そして柔軟な思考の持ち主が適任だとされます
いわゆる、リーダーと同じ程度の資質が求められます
故に、誰でもが勤められるというものでもありません
しかし、完遂したときに得られる達成感や充実感は、その責任の重さを補ってくれるかも・・・・

なお、金ヶ崎からの退路となった朽木谷は、鯖街道として当時から利用されていました
滋賀県およびその近郊には、このような歴史に彩られた山野に事欠きません
山行をしながら、往時の人がどのような思いでこの道を歩いたのだろうか、などと偲ぶのも
山行の楽しみ方の一つかもしれません、そう、山行を10倍楽しむ方法の一つとして・・・・
蛇谷ヶ峰 殿 (写真再掲)
山行日:2002.06.23(曇)
所在地:滋賀県朽木村
パーティー:4名

勾配が急になり
疲れが見えてきました
先ほどまで
適度な間隔だったのが
列が乱れてきたのです
少人数なればこそ
先達は今のところ
後ろの気配を
背中で感じているようです
藤原岳 殿
山行日:2003.03.23(晴)
所在地:三重県大安町
パーティー:9名

もうすぐ桜の開花
と言う時期なのですが
山の谷間には雪があります
先達は間隔が空き過ぎたので
待機をしてくれています
急ぐ気持を察知して
後方から
「無理をしないで〜」と一言
県名
印の県に「目的地」があります
山葵の山行まっぷ
一緒にいってみたいなこんなとこ
山行に見る しんがり
三重
長野
滋賀
みたいな
今日のことば
殿
大比叡 殿
山行日:2003.11.16(曇・晴)
所在地:滋賀県大津市
パーティー:8名

先頭は大分先にいます
メンバーが一人遅れだしました
この急勾配の坂で
更に遅れをとることでしょう
後方から
「大丈夫、ゆっくり、ゆっくり」
これだけの
間隔をあけられるのも
殿(しんがり)がいるからこそ
先達は
すぐ上で待ってくれていました
霊山 殿 (写真再掲)
山行日:2004.03.14(晴)
所在地:三重県伊賀町
パーティー:7名

ヤブ漕ぎになれない後続は
先達から間隔が空きだしました
後から、「もう少し間隔をつめて〜、でも、ゆっくりと」
このヤブは
視界があるからいいけれど
背の高いヤブだと
見失ってしまうので
大変気を使います
425版:平成16年8月12日 木曜日
山呼-リスト
山行でパーティーを組む場合
先達と殿(しんがり)が必要です
先達は文字通り先頭にたち
目的に向かって行進のペース配分をし
休憩のタイミングを計り
危険回避などの措置を講じます
殿(しんがり)は最後尾に就き
先達と連絡をとりながら
隊列が大きく崩れないよう
また、道から外れないか見守ります
メンバーが遅れをとる場合は
一人にしないよう
しかるべき措置を講じます
参加者が5人を超える場合は
できる限り
殿(しんがり)役を選任したい所です
今回は、アルバムから
殿(しんがり)を探してみました
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜
白馬岳 殿
山行日:1993.08.13(晴・雨)
所在地:長野県白馬村
パーティー:1名

雪渓をトラバースしています
前後の間隔を詰めず空けず
隊列を組みますが
どうしても遅れる人が出ます
殿(しんがり)は
はげましながら
気遣いながら・・・・
そんな意図が伝わってきます
このとき私は単独行
マイペースで歩ッ歩ッ歩