前回は、お目出度い事の表現として、「松竹梅」に関する「松」が主役でした
そのときに脇役であった「竹」を、今回は取り上げてみました

文中では、竹に関する言葉として
【竹有上下節(たけに じょうげのふしあり)】を紹介させていただきました
「差別の中に平等がある」ということでした
今回ご紹介するものは、時期的には5月がいいのでしょうが
時期はずれとは思いましたが、無理やり関連をさせてしまいました

【 清風動脩竹(せいふう しゅうちくをうごかす)】
「脩竹」とは細長い竹のことで、その竹がさわやかな風に吹かれて
さらさらと、葉鳴りの音を立てているという情景です
一陣の清風が、涼しげな竹林の間を吹き抜けることによって
なお一層、さわやかな境地を現出させるのです
風だけでも、竹だけでも、この状況は生まれません
風が竹を「動かす」ことで、この一段とさわやかな境涯が生まれるのです
                             ( 禅語便利帳:主婦の友社 )
山道を歩いていると、いろんな音が聞こえます
前出の、竹の葉が風にそよぐ音
木と木が風に揺らされ、こすれる音
川のせせらぎの音、滝が流れ落ちる音
鳥や獣の鳴き声、などなど
気持の安らぐ音から、気味の悪い音まで、さまざまです
ましてや、薄暗い林や竹藪の中を一人になって歩くときなどは
不安を抱き、焦燥感すらあおられます
風や樹木や動物が悪いわけではありません
そのときの気持のありようが、不安や焦燥感を抱かせるのだと思います

よく、「健全な身体に、健全な心が宿る」といわれます
健全な身体とは、どういうものなのでしょうか
むつかしいですが、一つの見方として、辛草風に解釈させていただきますと
身体壮健でありながら、しんどい事はしないという人が居られる半面
補助器具を使いながら山行をする人だっておられます
身体機能が劣るとか健常者である、と言うものではなく
自分の意志が、行動(実践)に移せる身体はさることながら
その人の人となりに、欠陥やかたよりがない、ことではないでしょうか
健全な心とは、「ありがとう」といえる感謝の気持を持ち
きれいなものを見て「きれい」、美しいものを見て「美しい」といえる素直な心でしょうか・・・・
山野の厳しさや優しさに触れることによって、健全な心や身体が育まれるかも知れませ

だだ、真摯な気持が抱けるかどうかが「カギ」でしょうが・・・・
松花堂
山行日:2003.04.01(曇)
所在地:京都府八幡市
この竹は
金明孟宗竹という
種類だそうです
奥に見える茶室は
この竹林を借景に
茶を楽しむ人たちのために
建てられたもの
のトンネル
山行日:2004.01.15(晴)
所在地:滋賀県山東町
霊仙山は登山口が多くあります
山東町柏原からはアプローチが一番長く
頂上までは約10kmもあります
ここはコースから少し離れた藪の中
1月14日に降った雪で
持ちこらえらなかったのでしょう
正真正銘
竹のトンネルが出来上がりました
この日の雪はかなり重たく
かような仕儀に
カメラのフレームを覗いていて
感じたのですが
自然と身体が傾いていたようです
おもたいな
山行日:2004.01.15(晴)
所在地:滋賀県山東町
1月14日に降った雪で
強靭な竹も
持ちこらえらなかったのでしょう
車もとうせんぼ
無残な姿と相成りました
前方の土手みたいな所は
名神高速道路
その先の山は
霊仙山の前衛峰の
また前衛峰にあたります
津田山山麓 林の路
山行日:2004.01.03(晴)
所在地:滋賀県近江八幡市
うっそうとした竹林です
京都の筍の産地のような
整備はされておらず
竹が密植しています
道が広いから
まだ恐怖感は無いのですが
こんな所を薄暮に
一人で歩くのはちょっと・・・・
冬の時期における山野は
色彩が比較的落ち着いた時期です
雪が降ると
白一色かと思えばそうではありません
前回取り上げた「松」などは
鉛色の空と雪が支配する
無彩色の世界に抗うように青々として
その存在を誇示しています
今回と次回の二回に分けて
お祝い事の三種の神器ならぬ
三種の新木(?:松・竹・梅)の一つ
「竹」をスケッチの題材として
取り上げてみました
何処でもあり、身近な存在だけに
ありきたりのスケッチで
恥ずかしいことです
今回は、その1です
県名
印の県に「目的地」があります
山葵の山行まっぷ
山行に見る 竹取物語
滋賀
京都
みたいな
404版:平成16年1月22日 木曜日
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
今日のことば
清風動脩竹
直指庵 林の道
山行日:2003.11.13(曇)
所在地:京都市右京区
紅葉を求めて
高雄に向かう途中に
立ち寄ったものですが
何処から見ても
秋の気配は感じられません
それだけ
竹が青々と
しているからなのでしょうか
ただ
この年に限っては
秋が遅かったのも事実です
一緒にいってみたいなこんなとこ
山呼らいぶらり〜