今日のことば
340版:平成15年12月23日 火曜日
干  支
年の瀬になると
新年を迎える準備の一つとして「年賀状」の準備をする人が大勢おられます
儀礼的なものとは解かりながらも、取りかからないと、気持をどこかに置き忘れるような気持になり
今年もやはり、そのための時間を割いている自分がそこにあります

年賀状の文章の最後に
「一月一日」と書くのを「癸未」などと、難しい文字がかかれている場合があります
「これは、一体なんじゃいな〜」と思われている方も
皆さんのお知り合い中に、一人や二人はおいでだと思います
そこで
年賀状の作製に、疲れた頭と手を休めるために
「干支(えと)」について、いつもながらの無駄なことをしてしまいました
時間と奉仕の精神のある奇特な方だけ、これから先にお進みくださいませ・・・・

十干」は、暦などで年と日を示し
日の順序を数える数詞(数量を量り、または順序を数えるのに用いる語)です
十二支」は、十二ヶ月を数える数詞で
正月は「子(ね)」とされたが、中国の漢代以降に、正月を「寅(とら)」とするようになった
中国の古書によると、北斗七星の柄(え)が指すところを占って、十干が作られたとあります
「甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、
 己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)」の名称を日(陽)の順に付けたという
十干を陰陽にわけて、陽の干を兄(え)、陰の干を弟(と)と定めた
十干を「木火土金水」の五行に配当した結果
その年の運勢や相性などが占われるようになった

十二支が作られ
十干と組み合わせることによって、60種の干支ができ、これを「えと」と称されるようになった
この循環に基づいて、「子年」、「丑年」と略称し
それと同じ年の産まれの人々が、「年男」とか「年女」と呼ばれることになった
干支は、60年に一度巡回することから、人間の寿命と、ほぼ同じと考えられ
数え年六十一歳で元に還り、生年の干支を迎えるため、これを「還暦」と称される
なお、還暦のお祝いに赤い頭巾や羽織が使われるのは
「赤」が、陰陽五行の火・夏・南を表わし
民族の非日常の色、すなわち「ハレ」の色であることからきていると言われる

                                (淡交社:茶の湯と陰陽五行より編集)

お遊び(おまけ)をどうぞ
『子』という字を十二文字書いて、「十二子(じゅうにし)」と言うのがあります
すなわち、『 子子子子子子子子子子子子 』 というものです
これを読んでみてください
迷回答を期待しています。正解は、文末にて
:鶏冠山(金勝アルプス)
山行日:2000.11.23(晴)
所在地:滋賀県大津市
三上田上県立公園内にあり
ミニアルプス的山容で
岩山は天狗岩とも言われ
この一帯の
ハイライトゾーンです
鶏冠山は
写真の岩山の奥に見えます
また、「広辞苑」にも、次のようにあります

【 干支 】(えと)

 (兄(え)弟(と)の意)
@十干十二支(じっかんじゅうにし)
  十干を五行(木・火・土・金・水)に配当し
  陽をあらわす兄(え)、陰をあらわす弟(と)をつけて名とした
 
こう:甲(きのえ)、おつ:乙(きのと)、へい:丙(ひのえ)、てい:丁(ひのと)、戊(つちのと)
  き:己(つちのと)、こう:庚(かのえ)、しん:辛(かのと)、じん:壬(みずのえ)、き:癸(みずのと)
  に十二支を組み合わせたもの
  甲子(きのえね)、乙丑(きのとうし)など、60種の組み合わせを年・月・日に当てて用いる
A十二支
  年、特に生年や方位・時刻に当てる。「今年の−は未(ひつじ)だ」

                                              ( 広辞苑 )

「干支(えと)」については、日本人なら誰でも知っています
血液型と同じように、「尋ねてみたり」、「教えたりして」
相手のことを、より深く知る上の手段や、コミュニケーションの手段として、よく使われます
また、相手の「十二支」を知っていることは
自分の「十二支」に相対して、相手の生年が、即座に判断できるものとして
私たちの日常生活の中に、知らず知らずの内に利用されています
いわば、便利な「生年割り出し方程式」なのです

阪神タイガースファンや高校野球ファンならずとも
誰でも知っているのが「甲子園(こうしえん)球場」です
ここに、「十干十二支」と浅からぬ因縁が秘められています
すなわち、「甲子(きのえね)」は「十干」でいうと、十干十二支の最初の文字です
「甲子(きのえね)」という年に建設されたことにちなんで、名付けられたと言われます
もちろん、これらのことは、前出の方たちにとっては、先刻ご承知のことだと存じます

今年の「干支」が解かっていて、その事件の、おおよその年代が推測されていれば
容易に、その事件の年代が解かることになります
ちなみに、2003年は「癸未(みずのとひつじ)」
おおよそ60〜120年前の事件である「甲子園球場の建設」の年は?
木の兄=甲(きのえね):1番目と、子:1番目が出会う年を1年目とする
水の弟=癸(みずのと):10番目と、未:8番目が出会うのは20番目で
19年後、もしくは19+60Xn年後となります
ゆえに、60〜120年の範囲内だから、79年前の事件と言うことになります
すなわち、2003-79=1924年(大正13年)だと言うことが計算できます


もちろん、これを簡単に計算できるからと言って、何の得にもならないかもしれません
が、話題として、知識として、持っていることは
お荷物(邪魔)にはなりませんので、よろしければ頭の片隅にでも・・・・

お遊び(おまけ)の回答
『 
ねこ こねこ ねこ こねこ 』
解説:この猫は子猫(という名前です)です、猫の子(子ども)は子猫です
如何でしたでしょうか、ほかに迷回答がありましたらおしらせください
私たちは
日常的に年齢を確認する時に
干支(えと)で表現することがあります
○○才と言われるより
未年産まれとか申年産まれ
といわれるとピンとくる
そんなことをいう人は
団塊の世代(昭和20年代)以前の人
それ以降の人は
さそり座とか乙女座という
星座で表現するのだ
な〜んて、いってた人がありましたが
表現方法は人それぞれ
コミュニケーションが取れる方法が
一番いいのです
そんな、こんなで、今回は
「干支」のつく山行にスポットを・・・・
:白馬岳 大雪渓
山行日:1993.08.13(晴・雨)
所在地:長野県白馬村
何も説明が要らないほど
多くの方が
この大雪渓にあこがれます
私はここに立つのに
計画から5年を要しました
:雨宮竜神社
山行日:2001.11.29(曇)
所在地:滋賀県五個荘町
麓には
聖徳太子にゆかりのある
石馬寺があり
標高差200mの階段を
上ってゆくと
この神社のある尾根に出る
ここからは鳥居の前を通り
繖山に抜けるルートが
開けている
:竜ヶ岳
山行日:2003.08.22(晴)
所在地:三重県大安町
南北55kmにわたる
鈴鹿山脈の中央付近にあり
これより北側は(北鈴鹿)
石灰岩が多く露出し
南側は(南鈴鹿)
花崗岩が露出する
写真は石榑峠下の小峠より
山頂を望む
:大台ケ原 大蛇ー
山行日:2003.10.26(晴)
所在地:奈良県上北山村
大台ケ原の景勝地です
観光パンフレットには
カメラの位置の岩場が
「大蛇ー」とあるが
国土地理院によると
この写真の
切り立った岩山が「それ」
:蛇谷が峰
山行日:2002.06.23(曇)
所在地:滋賀県朽木村
琵琶湖西岸(湖西)にあり
比良山系の北端に位置する
山頂からの北湖の展望は良い
この日は
山頂はガスで展望が台無し
奈良
長野
三重
滋賀
山行に見る え と
いってみたいなこんなとこ;山行や旅行
みたいな
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
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資料からの引用です
山呼らいぶらり〜