【 避客牌(ひかくはい) 】
  
謹謝訪客叩門( つつしんで ほうきゃくの こうもんを しゃす )

『 主がすべての客を謝して門を閉じている時
  客も門にこれが掛かっている時は
  どんな用事があっても、帰っていくのが礼儀 』


吉川英治の『三国志』を読まれた方は、よくご存知だと思います
  あらすじ(臣道の巻:避客牌)
  関羽は、曹操軍との戦いに敗れ、玄徳・張飛とも散り散りになってしまい、玄徳の奥方を守る為、やむなく曹操の軍門に降った。しかし、曹操の軍門に降る条件として、関羽は、3つの条件を出した。その3つの条件とは、@曹操に降伏するのではなく、漢朝に降伏する。A劉備の妻子の安全を守ること。Bもし玄徳が生きていることがわかれば曹操にいとま乞いをせず、玄徳のもとに帰る。という3つの条件であった。
 そして、玄徳の消息が分かったということで、関羽は、玄徳のもとへ帰ろうとした。しかし、関羽を手放したくない曹操は、避客牌(ヒカクハイ)をかけて、関羽に会おうとしなかった。

避客牌というのは、その屋敷の主がすべての客を断る時、門を閉じてかけておくものであり、客もまた、この避客牌がかかっている時はどんな用事があっても帰っていくのが礼儀とされていた
礼儀を重んじる関羽は引き返さざるを得なかった。しかし、曹操に別れを告げずに立ち去ることはできず、毎日曹操の屋敷を訪れた。だが、来る日も来る日も避客牌がかかっていて、会うことはできなかった。

 そこで、とうとう関羽は、曹操から贈られたものを自分の屋敷に置いて、置手紙を書いて立ち去ることにした。やはり、たとえ主君の敵であっても、これだけの恩を受けては関羽も情が入り、最後くらいはすっきりと別れたかったと思いつつ、後にしたのだった。


この小説は、4回読み返しました
戦いの数や、登場人物のあまりの多さに苦労はしましたが
「三顧の礼」「赤壁」など、引用される言葉もあり
「避客牌」もそのなかのひとつ

意味は多少違いますが、「面会謝絶」の自己主張編とでもいうのでしょうか
そう考えると
居留守をする時の「留守番電話」なども、考えようによっては同じかもしれません
うつ状態になると
他人と「顔を合わせたくない」「言葉さえ交わしたくない」、ということがあるとすると
そんなとき
「避客牌」を玄関扉にでも、かけておけばいいかもしれませんね
でも、訪問者がこの言葉の意味を知っていることが前提ですが
石碑:拡大写真
石榑峠のバリケード
山行日:2003.08.22
所在地:三重県大安町

ここは、国道421号
通称;八風街道の石榑峠です
2トンを越える車の通行を制限するために大きなコンクリートの塊が置かれています
これでは、確かに大きな車は通行できません
実際、滋賀県側は道路幅が狭く通れないのですが、無理して通る車がないともいえません
事前に事故防止するための
強烈な意思表示です
県名
印の県に「目的地」があります
山葵の山行まっぷ
いってみたいなこんなとこ;山行や旅行
滋賀
進入禁止の意思表示
「避客牌」は意思表示のしるし
自分の意思を相手に伝える手段として
標識が考えられます
「植物をとらないで」
「進入禁止」、「落石注意」、「禁煙」
などなど

強烈な意思表示から
お願いまで
内容は様々です
素材もいろいろ吟味されています

数ある標識の内
山行途中で
目を引かれたものがありましたので
ご紹介いたします
長野
三重
みたいな
333版:平成15年11月4日 火曜日
下馬の拡大写真
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
今日のことば
避 客 牌
不許葷酒入山門

禅寺の参道にある石碑です
「不許葷酒入山門
」( くんしゅ さんもんに いるを ゆるさず)は
『匂いのあるものを食していたり、お酒を飲んで酔っ払って
お寺へ入ってはいけませんよ』という内容です
禅寺には、必ずといっていいほど
この石碑が設けられています
いわゆる「結界石」です
お寺は修行をする所でもあり、
修行を妨げるような方は、ご遠慮くださいという意思表示
しかし
お寺の和尚さんも、お酒も飲まれるじゃないですか
という疑問が湧いてきます
これには、言葉の逃げ道があって
「般若湯」といって、「酒」をお寺ではこう表現します
俗界と同じように食生活を楽しむこともあったようです
戸隠神社 奥社参道 「下馬」
山行日:2003.05.11
所在地:長野県戸隠村
「下馬」の石柱です
ここからは、馬に乗らずに
歩いてください、という意思表示
これと同じものに
「下乗」というものがあります
こちらのほうは
下馬よりも範囲が広くて
乗り物はダメですよ、ということ
信仰も元気でないと
勤められません
山呼らいぶらり〜