今日のことば
亭主の好きな赤烏帽子
【 亭主の好きな赤烏帽子(あかえぼし) 】
  室町時代の松浦備後守(まつうらびんごのかみ)という大名は、好んで赤烏帽子を着用したが、これを見た将軍:足利義政(一説には義教)が肥後守の姿を絵に描き、肥後守に下げ渡したという。これが、この言い回しの元になったとされる。一般には、一家の主人(や上司)の好みや発言には、家族(や部下)は合わせるしかない、という意味に用いられている。   「別冊歴史読本より」

烏帽子(えぼし)
  聖徳太子の冠位十二階制が出来てから、制帽としての冠が付けられるようになった、と考えられています。やがて、成人男子の証(あかし)と言えるような存在になり、平安時代には庶民も着けるようになり、露頂を恥とする文化が生まれたのだそうです。
  烏帽子は公家や仕える人たちの日常のかぶり物です。種類はいろいろあるようで、基本は公家が一般に用いた「立烏帽子(たてえぼし)」といわれています。
          
                  烏帽子の種類(その一部)

上司の好みや発言には合わせるしかない
  まさにそのとおりで、「悲しきは宮仕え」というのでしょうか、多くの方がその悲哀を味わって
おられる(味わってこられた)と思います。

主人の好みや発言には合わせるしかない 』 
  「長いものにはまかれろ」という言葉がありますが、まだこの言葉も生きているようです。声の
大きい人(言葉の暴力)や自分の意見を押付ける癖のある人が身の回りに多いこと。迷惑至極

旦那の好きな赤烏帽子
  江戸時代に使われた言い回しのようです
 しかしながら、現在は死語になりつつあるようです
 “な〜んでか・・・・”、それはネ
 みんなが自分の考えを持ち、主張できるようになったからです(嫌煙権など、その類い


  さだまさしさんのコレクションの中に、一世を風靡した「関白宣言」があるのは、みなさまよくご存知のとおりです。その後「関白失脚」という詩が発表され、ヒットいたしました。
題名の言葉尻を捕らえると、亭主がダメになったとも取れるようですが、「亭主」という言葉そのものもなくし、「家族みんなが幸せで仲良くしていこうよ」というひとが多くなってきたのだと思います。
決して女房さまや娘さんが、亭主殿を「ないがしろにしている」と思ってはいないハズ・・・・
326版:平成15年9月16日 火曜日
談山神社 鳥居
山行日:2002.11.13
所在地:奈良県桜井市
この鳥居が神様の世界と俗界の境目
神様のお屋敷の入り口(門)です
近江天満宮 鳥居
山行日:2003.06.22
所在地:滋賀県余呉町     呉枯の峰登山口にあります
朱=丹塗りの落ち着いた色で迎えてくれます
伏見稲荷大社 参道鳥居
山行日:2002.12.10
所在地:京都市伏見区
鳥居のトンネルのはじまりです
しばらくすすむと
赤い壁と天井に包まれます
横蔵寺 参道の橋
山行日:2003.05.02
所在地:岐阜県谷汲村
参道の赤い橋
新緑の中に溶け込んでいます
鞍馬寺 石垣高欄
山行日:1993.07.03
所在地:京都市左京区
歩くこと1時間、途中に石段もあり
結構、汗がにじんできます
かなりの高齢者の方が登ってこられるのも
鞍馬の天狗さんの力添え?
横川中堂(比叡山)
山行日:2003.04.17
所在地:滋賀県大津市
歩き始めて3時間
ようやくここに辿り着きました
もちろん、車でもこられます
「亭主の好きな赤烏帽子」は
『一家の主人(や上司)の好みや発言には、家族(や部下)は合わせるしかない』という意味らしいようで
「赤」色は、個性を現す
バロメーターのように見られますが
山野における『赤』は
どちらかと言うと
『あか=朱=丹塗り』色で
その存在を誇張しながらも
風景にうまく溶け込んでいます
・・・・
と、私は感じているのですが
いかがでしょうか・・・・

山野で出会った『朱:あか』
を取り上げてみました
奈良
京都
岐阜
山野に朱あり
滋賀
いってみたいなこんなとこ;山行や旅行
みたいな
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜