人間五十年
325版:平成15年9月9日火曜日
鳳来寺山(標高:684)
山行日:2002.06.23
所在地:愛知県鳳来町
  鳳凰は古くから中国の伝説にみえる想像上の瑞鳥。聖天子の治政の兆として現れるとされる。
雄を「鳳」,雌を「凰」と称したともいわれる。写真は、山麓からの雨にけむる山容
山呼-リスト
上記は、メモ帳にありました。「孔子の場合」はよく知られている所です
今回、改めて書籍から「よわい」に関する言葉を引っ張ってきました。その一部です

【20】正岡子規 「病状六尺」
   明治維新の改革を成就したものは、
   二十才前後の田舎の青年であって、幕府の老人ではなかった
【30】式亭三馬 「浮世床」
   人も三十越してどうらくになったのはむづかしいよ
【40】島崎藤村 「夜明け前」
   人が四十三歳にもなれば、この世に経験することの多くが
   あこがれることと、失望することで満たされているのを知らないものもまれである
【40】野口英世 「奥村鶴吉編『野口英世』」
   人は四十になるまでに土台を作らねばならぬ
【40】武田信玄 「甲陽軍艦」
   弓矢の儀、取様の事、四十才より内は勝つように、四十才より後は負けざるように
【50】織田信長 「幸若舞曲『敦盛』」
   人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、一度生を得て滅せぬ者のあるべきか
【55】明智光秀 「辞世」
   逆順ニ門なし、大道心源に徹す、五十五年の夢覚め来たり一元に帰す


調べていて感じたのですが、2千年以上もの昔、孔子が示した『不惑:一点の惑いもなくなったとされる年齢が四十才』が、後代においても、人生のターニングポイントとして捉えられているように感じました。私たちが子どもの時、「六十才は老人=年寄」でしたから、織田信長の名台詞「人間五十年」がよく理解できていました。今、私はその年代に達しています。でも「年寄」という意識は、私も、皆さんも無いと思います。平均寿命が八十才代の今日、益々元気な高齢者がおいでです。
縄文杉(屋久杉) ※3枚合成
山行日:2002.04.21/24
所在地:鹿児島県屋久島
  一説には樹齢:7,200年(推定)といわれています。まさに生きた化石です。この前に立つと畏敬の念に包まれます。年を経てなお、人々の心に「何か」を感じさせます
山葵の山行まっぷ
鹿児島
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
今日のことば
蓬莱山尾山(標高:220)
山行日:2001.11.25
所在地:滋賀県近江八幡市沖島
  蓬莱:中国の神仙思想で説かれる想像上の仙境。
東方の海上にあって、仙人が住む,不老不死の地と信じられた。
  琵琶湖にある最大の島「沖島」に、この山はある。最高点を尾山といい、東へ約0.2kmの所に蓬莱ヶ岳がある。ともに展望がなく残念です。写真は島内唯一の小学校の校庭前から尾山方向を眺めましたが、あいにくの雲。
  滋賀県比良山系には20年程前に山行した蓬莱山があります
岡倉天心 の場合
   人間は 十で食獣
       二十で発狂
       三十で失敗
       四十で山師
       五十で罪人

 永 六輔 の場合 「二度目の大往生」
   十代の夫婦はセックスで夫婦です
   二十代になると愛で夫婦
   三十代になると努力して夫婦
   四十代になると我慢の夫婦
   五十代になると諦めの夫婦
   六十代になると、お互い感謝で夫婦
   やっと夫婦です
養老の滝
山行日:2001.07.08
所在地:岐阜県養老町
  親孝行、したい時には親はなし
親孝行にまつわる逸話が知られています
冠山(標高:1,257)
山行日:2002.09.22
所在地:福井県池田町
  現代はおざなりに
なってきつつありますが
冠事は、人生において
大切な節目です
弱冠(じゃっかん)
   男子の二十歳の異名
   現在では年が若いこと
弱=二十歳
冠=元服(げんぷく)して
   冠をつけること
県名
印の県に「目的地」があります
いってみたいなこんなとこ;山行や旅行
滋賀
人生山野あり
岐阜
山野に出て、空を眺めていると
ふと、感傷的になることがあります
今見ている星の光は
数億光年も前のものだ
鍾乳洞に入ると
この石筍は、何万年もかかって
これまでに成長したのだ
など、など・・・・
自分の人生はたかが知れた80年
地球的規模、
いや宇宙的規模でみつめると
ほんの一瞬にしかすぎない
人生観も変わろうというもの
それなのに、些細なことに
思い悩んでいる自分がそこにいる
人生テ、不思議なものですネ

今回は、「人生」にかかわる
名前のついた

山行に焦点を合わせました
福井
愛知
みたいな
孔子 の場合
   十五才で志学(しがく)
   二十才で弱冠(じゃっかん)
   三十才で而立(じりつ)
   四十才で不惑(ふわく)
   五十才で致命(ちめい)

佐久間象山 の場合 「省けん録」
   予、年
   二十以後、すなわち匹夫にして
       一国に繋がるあるを知り、
   三十以後、すなわち天下に
      繋がるあるを知り、
   四十以後、すなわち五世界に
      繋がるあるを知る
山呼らいぶらり〜