今日のことば
310版:平成15年5月27日 火曜日
いってみたいなこんなとこ:山行や旅行
県名
印の県に「目的地」があります
長野
岐阜
鳥取
爽やかな季節です
このような時期は
屋外に飛び出しましょう
薫風や光風に出会えるかもしれません
風を意識した写真を撮ろうとしているのですが、山行では天候がいい状態ででかけることが多いものですので、なかなか風が写真として表現できません
山行における
数少ない
拾い出してみました
風が見えましたら
おなぐさめ!
白馬岳頂上 1993.08.13 長野県北安曇郡白馬村
  山行途中で雨に出くわす。写真撮影のと
きは雨も上がり、風で髪の毛が立っている。
このときも大山の山行時と同じポンチョを着
ている。現在も、同じ物をガムテープで繕い
ながら使用している。ズボンも同じく現役であ
る。さすがに靴は潰れ、今は5代目を使用。
大山山頂 1980.08.15 鳥取県西伯郡大山町
  小雨の中を登山。頂上に来るとあたりはガスと強風。岩場にしがみついて、強風を避けての撮影。カメラマンは、風をもろに受けている。この先は、有名ならくだの背であるが、レンジャーの注意を聞き、縦走を断念する。数年後、岩の崩落が激しく、通行禁止となった。
1971.06.20(正真正銘の青春時代)の編集子のメモ帳から
当時、盛んだった青年活動の一環として、滋賀県神崎郡永源寺町にある永源寺(臨済宗永源寺派大本山)で宿泊研修会がありました。
その時、お寺の僧侶の法話の中で、次のような一説が紹介された。

風攪飛泉送冷声   風、飛泉(滝)を攪(か)いて冷声を送る
前峰月上竹窓明   前峰、月上(のぼ)りて竹窓明らかなり
老来殊覚山中好   老来殊に覚ゆ山中の好(よ)きことを
死在巌根骨也清   死して巌根に在らば骨也(ま)た清


永源寺開山の寂室元光禅師の「詩」として紹介されたもの。
この当時は、墨蹟に関する知識も、詩に関する興味も何も無く(今もだが)、ただ同世代の若者が、集まることの楽しさが勝り、こ詩の存在は忘れ去られるはずだった。が、なぜか今ここに登場している。
若かりし頃は、「記録魔」でした。ご多分にもれずこの詩も記録されていました。皆さんも経験がおありだと思います、物を書くとそのものが覚えられるということを。この法則に従い、かすかに(風攪飛泉の部分のみ)覚えていました。(現在は、この法則は当てはまりません)
その後、色んな経緯があり、この墨蹟が「重要文化財」であるということを知ることになり、初夏が来ると、この詩の存在を思い出します。


他に、風のつく言葉でよく目にしますのに次のようなものがあります。
薫風、清風、涼風、光風など

偶然なのですが、私のアルバムの中に、右の写真がありました。
永源寺第141代住職;鳳円逸(萬松関)襌師の書です。
残念ながら何が書いてあるか読めません。ご教示ください。
飛泉(滝):宇津江四十八滝 2000.10.26
岐阜県吉城郡国府町
  水の飛ぶ様が、なぜか心をひき付ける。
爽やかな風が、頬をなでるように通り過ぎる。
数ある滝の中の一つ。黄色く色づきはじめた
木々が、華やかな舞台を演出しています。
水と木々と風のハーモニー。
心がとても癒されます。
孤独を深めるにはもってこいなのです。
山葵の山行まっぷ
奈良
みたいな
雲飛ぶ:御嶽山 2002.08.10
岐阜県益田郡小坂町
  継子岳の尾根にかかっていた雲が、みるみるうちになくなっていく。つい1時間前までは、御岳頂上の縦走で、強風と、横殴りの雨に苦しめられていたところ。
まるで、嘘のようなできごと。青空が顔を出し、鳳凰のような雲が私を慰めてくれている。この後、下山口の濁河温泉で雨と汗で濡れ鼠の身体をいたわったのは言うまでもありません。
ホウ葉の風:曽爾高原 2003.05.25
奈良県宇陀郡曽爾村
  亀山峠から倶留尊山に至る尾根道でのこと。おりからの強風で葉の広いホウ葉はもろに風を受け、耐えている。写真で見る限り、この葉以外は何事も無いような状態です。さほどに風を写真に撮ることは難しいものです。また、山行で風を収めることも、まずありません。
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
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カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜