2013.05.04
先人が営々として作り上げてきたものを
私たちは
後世の人たちに守り・伝える義務がある
            (読人不知)
1994.06.11
1977.07.29
『 去年と同じ場所に
  今年も同じ情景が
  保ち続けられるよう・・・・ 』
との思い・・・・

記憶に残るところ
記録に残るところ
それは
若き日の思い出
こころのふるさと
だから
もう一度訪れてみたい
あの時と
同じ風景が、情景が
いまも
あることを願いつつ・・・・
みたいな
標題によく似た言葉に次のようなものがあります
『 新人は、古人や先人の知識を利用して、更に立派な文明を築き上げなければならない。
  要するに、永遠の理想を後代において
  人生の完成と文明の完成とに貢献することが新人の最大の責務である
  然らずんば、新人の存在理由はないし、存在権もない 』 (史邦4000年史)


昨今の中高年の登山ブームで、多くの方が山野に入って自然に親しまれています
一部の心無い人たちによって
自然の営みに影響を与える行為(高山植物の採取など)が行われています
また、私たちも知らないうちに、その一翼(たとえば富士山の汚水の垂れ流し)を担っています
残念ながら事実です(最近は、意識向上や清掃活動が行われ非常にきれいになっています)

人類は、凸凹の土地を平らに均し、早く移動する手段を追い求めてきました
食料を得るため、山野を切り拓き田畑をつくりだし
大量生産と作業の効率化を求めて、小川の改修や木々の剪定が行われ整備されてきました
私たちは、これらの恩恵にあずかりながら、また失ったものも沢山あります

昨今、多くの人々がこれらのことに真剣に向き合い、すでに実践されている方はもとより
環境保全に立ち向かっておられることを、報道機関の情報を通じてご存知の方も多いと思います
これらを認識し、身を低くして「自然」に接することが、今、私たちにできることだと思います

誰が言われたのかは知りませんが
『先人が営々として作り上げてきたものを、私たちは後世の人たちに守り・伝える義務がある』
という言葉が、編集子の「らいぶらり〜」記されていました
大変大きな言葉であり、一個人がどうのこうのと、できるものではないと思いますが
これを「自然」という言葉に当てはめて、ひとつの手段として考えて見ますと
木々に感謝し、水に感謝し、岩に感謝し
去年と同じ場所に、今年も同じ情景・景観が保ち続けられるよう
山野と接していくことができるなら・・・・
また、そのような思いの人が一人でもいいから
自然を愛する仲間として、手をつなぎあうことができれば・・・・
と願っています

編集子の私は今、山野をメインテーマとした、このホームページを作成しています
まったくの自己満足の世界で、内容も自己中心的で、発信も一方的になりがちです
数十年前、「無感動・無関心・無気力」だった「老いた青年」が
山野と接することによって
川のせせらぎに光を感じ、木々の揺らぎに風を感じるようになりました
鳥獣の躍動から活力をもらい、木々の香りから山野の息吹を受け
ロマンティックな詩情も、無粋ながら少しは感ずることができるようになりました

山野の楽しみ方、山野の美しさ、自然の偉大さそして怖さ、などなど・・・・
まずい写真ではありますが、ご覧いただいている方のうち
お一人だけでも、幾ばくかの関心をお示しいただけることができますならば幸せに思います・・・・
2006.10.17 右の建物は不動堂、屋根の桧皮が葺き替えられました
三仏寺投入堂(鳥取県東伯郡三朝町)
三朝温泉の近くにあり、国宝の投入堂として、その筋の人たちには超有名な建築物があることで知られています。2003.03.25版「木の根道」でも取り上げたところです。このお堂は、2005年に世界文化遺産(※1:三徳山−信仰の山と文化的景観)への登録に向けて、準備が進められていると聞きおよんでいます。ご覧のように、断崖の窪んだところに、仙人が投げ入れたように、見事に納まっています。ここに行くには、雨の日は入山が禁止されます。写真のように、入山者はタスキをつけ、事故に備えています。もちろん、自己責任ですが・・・・、ここにも、世界遺産登録までに是非とも再訪したいと企画を暖めています。
(※1:2015.08.15時において、暫定リストから外れており、今後の動向に注目していたい。)
1980.08.17
霊仙山標高900m付近の山容(左奥が山頂)、(滋賀県犬上郡多賀町)
2002年当時は山頂付近には熊笹が生い茂り長袖が必須でした
二番目に続くものはマムシに注意と戦々恐々で歩いた記憶があります
2013年、無残な姿と化していました
鹿の食害により禿山状態です
前年の2012年には、集中豪雨により山域では土石流の被害が多発
このままでは、大惨事にになることを山男・山女たちは危惧しています
大台ケ原(奈良県吉野郡上北山村)
駐車場から日出ヶ岳に向かう途中にある標識
偶然同じ場所で撮影しています。1977年(26年前)の写真は、さすがにセピア色に変色しています。この山域は、都合3回訪れています。2003年には、笹の背丈が短くなっているのがわかります。近年、中高年の登山ブームで大勢の人が押し寄せていると報道されています。近々の内に、マイカー規制も実施されるのではと感じています。
2003.10.26
2002.05.06
1990.07.29
2015.08.08加筆
305版:2003年4月22日 火曜日 01:00
滋賀
京都
三重
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
今日のことば
山呼らいぶらり〜
今昔物語
2002.04.11
一緒にいってみたいなこんなとこ
MIHOミュージアム(滋賀県甲賀郡信楽町)
構内道路の桜並木
この桜の回廊は、信楽の山間部に忽然と現れた桃源郷
  建築家:L.M.ベイがプロデュースしたミュージアムのアプローチに存在しています
2002年に訪問し、みごとな桜並木に感動したものでした
感動を再び・・・・
2003年に再訪しました
期待は見事に打ち砕かれました
剪定されていてしまったのです
後年に見事に咲く姿を脳裏に浮かべながら帰ったものです
2003.04.22