門紀行:百済寺山門
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正面
標   題 百済寺山門
山 行 日 2001年10月16日、(晴)
Mapion 滋賀県愛東町百済寺
間 口 一間一戸
特 徴 四脚門
リ ン ク
概   要 百済寺(ひゃくさいじ)は、天台宗の寺院。山号を釈迦山と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は聖徳太子とされる。百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したといわれています。平安時代から中世にかけて、かなりの規模をもった寺院だったようですが、明応7年(1498)の火災で全焼し、さらに天正元年(1573)には織田信長の焼き討ちに遭い、またも全焼しています。当時、この地に勢力をもっていた佐々木氏の一族六角氏は、観音寺城の支城である鯰江城(なまずえじょう)を百済寺の近くに築いていた。信長は自分と敵対していた佐々木氏に味方するものとして、百済寺を焼き討ちしたものです。本堂をはじめ現在の建物は近世以降の再興です。金剛輪寺、西明寺とともに「湖東三山」の1つとして知られています。
この門は、切妻造り瓦葺。朱塗りの門として、別名:赤門と呼ばれていましたが、現在は色も薄れ、時の移り身を感じます。