門紀行:兵主大社神門
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正面
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標   題 兵主大社神門
山 行 日 2012年05.月09日、(晴)
Mapion 滋賀県野洲市五条
間 口 一間一戸翼廊付
特 徴 楼門、県指定有形文化財
リ ン ク
概   要 兵主大社(ひょうずたいしゃ)は、式内社(名神大社)で、旧社格は県社。正式名称は兵主神社であるが、普段は「兵主大社」を称しています。八千矛神(やちほこのかみ)(大国主神)を主祭神とし、手名椎神・足名椎神を配祀されます。「兵主」の神を祀る神社は日本全国に約50社あり、延喜式神名帳には19社記載されているが、その中で名神大社は当社と大和国穴師坐兵主神社・壱岐国兵主神社のみです。景行天皇の御代、皇子稲背入彦命により大和国穴師(奈良県桜井市)に奉斎されたのを創始とする。更に近江高穴穂宮遷都に伴い、宮域近き穴太(大津市坂本)に御遷座になった。その後欽明天皇の御代に琵琶湖上を渡り、現在の地に御鎮座されたと伝えられます。中世には、源頼朝・足利尊氏等の武将の崇敬厚く、寄進された武具・甲冑を今に伝えられ、更に徳川家よりも社領の寄進を受けるなど、その御神威は広範囲にまで及んでいます。「兵主」を「つわものぬし」と読むことにより、中世には武将達の厚い信仰を得、社殿はじめ多くの武器・武具・甲冑の寄進があり、今も社宝として伝えられている。 中でも源頼朝が湖上を航海したとき、暴風雨に遭い、兵主の神の加護を得て救われたことから神恩に報いるため 玉垣、拝殿、舞殿、護摩堂などを造立し大いに栄えたと伝えられています。
この門は、入母屋造り檜皮葺、天文19年(1550)に建造されました。楼門正面には 花山天皇から下賜された「正一位勲八等 兵主大社宮」の勅額が掲げられている。
正面鳥居越
左正面
背面