門紀行:専宗寺太鼓門
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エピソード
佐和山城落城の際
足軽の北助が佐和山城の用材(門の扉と伝わる)を持ち出して
それが太鼓門の天井板として用いられている
         (鳥居本:歴史と文化の物語、2003.02.28発行 から)

しかし、一人で門の扉を運ぶのは無理ではないか・・・・とも

このエピソードは、いかに石田三成が城下の人々に慕われていた
という、心の現れなのでしょう・・・・
いずれにしても、後世の人の作り話でしょうが、残しておきたい話です
佐和山城の扉が使用されていると伝わります。
400年経っているというのに意外と綺麗です
天井見上げ
門背面を額縁にして
左側面
右背面
背面
右正面
左正面

閂金物跡
標   題 専宗寺太鼓門
山 行 日 2013年01月31日、(晴)
Mapion 滋賀県彦根市鳥居本町
間 口 三間一戸
特 徴 二重門特殊型
リ ン ク
概   要 専宗寺は、文亀2年(1502)および天文5年(1536)の裏書のある開祖仏を有する浄土真宗本願寺派の古寺で、聖徳太子開創と伝わります。かつては、佐和山城下町本町筋にあり、泉山泉寺と号していましたが、寛永17年(1640)に、洞泉山専宗寺と改め、ここ西法寺村に移ってきました。本堂などの建立時代は18世紀後半のものと推定されています。西法寺村は、佐和山山麓にあった元の集落(古西法寺村)から寛永年間に街道沿いに移されました。
山門の右隣の2階建ての太鼓門の天井は、佐和山城の遺構と伝わります。太鼓門そのものが移築されたものではありません。佐和山城が落城するとき、石田三成を慕った足軽が、せめてお城の痕跡をどこかに残したいと、門の扉板を持ち出したという伝承があります。その扉板が、この天井板だというのです。よく見ると、確かに取っ手の跡?のような痕跡があります。城郭は取り壊され、城下町さえも解体されてしまった佐和山城ですが、その面影はひとびとの心に刻まれ、こんなところにも痕跡を残しているのです。
二層門の特殊な形として、二重門の範疇でまとめます。
この門は、二層入母屋造り桟瓦葺。一階両袖納戸付き。
門正面を額縁にして
正面