山燃ゆる:水口城址
標   題 水口城址
山 行 日 平成17年11月22日(晴)
地   域 水口/北西E
Mapion 滋賀県甲賀市水口町
紅葉状況 良好
撮影場所 水口城址
リ ン ク
概   要 旧東海道の水口宿が成立しはじめたのは室町期で、伊勢参宮の宿村としてはじまったと言われています。豊臣治世の時代になって、中村一氏によって水口岡山城が古城山に築かれると、水口も宿場町としての町割りが整備されていきました。関ヶ原の戦いによって水口岡山城は落城。徳川家は水口を直轄領と定めます。このため、亀山宿同様に水口宿も城下町でありながら幕府の直轄領という変則的な形態をとることになります。また寛永期の三大将軍・家光の大上洛にともない水口に大規模な御茶屋が築かれました。やがてそれが現在の水口城(正確には水口城址)になりここに水口藩(2万5千石)がおかれることになりました。藩主は一時期鳥居氏になりますが江戸期を通じて加藤氏がつとめています。ちなみに加藤家とは、加藤嘉明(かとうよしあきら:賤ヶ岳の7本槍の一人として知られる。加藤清正とは血縁はない)を祖先に持つ家柄。