黄蘗城址
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京極黄蘗城址の石碑
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撮影場所:東近江市杠葉尾地区、岳から西南西に約1.1km
標識
昔、京極家同族の争いがあり、秦川(現在の愛荘町)の松尾の戦いに敗れた京極太善膳太夫政高という人が山越えで政所から黄和田城に逃れたといわれ、以来京極氏代々の城として、江勢国境八風峠・石槫峠の要衝を抑えたものと思われます。
当時の八風峠は、交通上の要路であって、各国の商人や京都に行き交う人が多く通行したそうです。京極政高の子材宗は、黄和田城を根拠地として在城しており、金剛輪寺から年始の贈り物を在宗とその家老の市村某に届けたと伝えられています。これから後に、近江の守護佐々木氏の代官小椋氏はこの小椋谷を領し、家臣川副孫三郎吉永という人を八風峠の目付役としてこの城に住まわせといわれており、昔からこの城が相当重要視されていたことの証拠であると思われます
 (だけ)
←岳山頂
黄和田地区、日枝神社からの岳山容
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きはだじょう
黄檗城
別 名 黄和田城   遺構等 石垣
地  域 25zc:竜ヶ岳/南西W   現 状 山林+山麓
Mapion 滋賀県永源寺町黄和田   築城者 京極政高
標  高 640m/580m=60m   築城年 南北朝時代
訪城日 2007年05月15日(晴)   形 式 砦館
山悠々   規 模 東西100mx南北100m 
概要 江勢国境(近江・伊勢の国)、八風峠・石槫峠の要衝を抑えたものと思われます
入口石垣
岳山頂
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黄蘗城址
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登山口
城址の石碑
城址館石垣、林の中に石碑があります
館のためにヒナ壇上に造成され段差を石垣で整備されています
岳登山口・城址入口