打下城城山 (うちおろしじょうしろやま)
撮影場所:高島市高島駅構内、城山から北東に約0.9km
うちおろしじょう
打下城
別 名 大溝古城
地理院
地図 
緯度:35.286800
経度:136.002793
Mapion 滋賀県高島町
鵜川
標  高 374m/90m=2840m
遺構等 土塁、空堀、竪堀
現 状 山林+山頂
築城者 高島玄蕃允
築城年 永正2年(1505)
形 式 山城
規 模 東西270m
南北300m
土塁に囲まれた北主郭と虎口の石垣、そして虎口東側下にある畝状竪堀群が見られる
高島玄蕃允(げんばのじょう)が築城したのを創築とし、浅井・朝倉の修築した遺構や豊織期に改修された遺構と伝わる
虎口(土塁の向こう)
土塁
打下城跡は大溝古城とも呼ばれ378.7mの山頂一帯にあって、東西270mx南北300m以上の城域を有する大規模な中世山城です。ここからは湖北や湖東地方も展望でき、直下を通る北国街道(西近江路)を容易に見渡せる交通上の要衝にあります。城の遺構は大別して南北の2ブロックに分かれます。この地は南ブロックの中主郭は標高379mのピークに設けられた30mx25mで2段の曲輪であり主郭であると考えられます。北ブロックの遺構は主郭より北方へ延びる尾根上に数カ所の小曲輪を連結し、それより先端の土橋を渡って虎口に達する大型の曲輪(54mx32m)と東側周辺の畝堀及び2カ所の小曲輪群よりなります。打下城の創建は永禄年間以前(1558年以前)に国人領主の林氏又は高島氏が関与したものとされますが、元亀年間(1570〜72年)に江北の浅井氏か越前の朝倉氏による改修の跡が認められます。また、その後は織田信長の陣所となったこともあります。城跡にはバラエティーに富んだ築上展開がみられ県下有数の縄張りを持つ山城です。
(現地案内板より 高島町観光協会)
横掘切
縄張り図(現地案内板)
アミダ峰
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杉坂峠
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土塁
縦状畝堀
杉坂山
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陣尾山
(別名:ヒヨノ)
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山聲-TOP
主曲輪部、案内板が立つ
看板の置くに虎口があり南曲輪へとつながります
城山(通称)
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見張山の山塊
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