尾山(宝来ヶ嶽) おやま(ほうらいがたけ)
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沖島頭山城址
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沖島尾山城址
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沖島坊谷城址
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近江八幡国民休暇村宮ヶ浜湖畔からの沖島
おきのしまおやまじょう・おきのしまぼうやじょう・おきしまかしらやまじょう
沖島尾山城・沖島坊谷城・沖島頭山城
別 名   遺構等 曲輪、土塁、石垣
地  域 25en:沖島/南東NW   現 状 山林+山頂・中腹
Mapion 滋賀県近江八幡市沖島   築城者 詳細不明
標  高 225m/85m=140m   築城年 詳細不明
訪城日 2016年03月17日(晴)   形 式 山城(海賊城※)
山悠々 尾山(宝来ヶ嶽)   規 模 東西:―mx南北:―m
概要 詳細は不明ですが、古くから人々の往来があったのは、湖底から奈良時代の古銭が発見されたことからも確かなようです。琵琶湖上における監視等を担う目的で築城されたものと推定されています。南北朝から、時の権力者により重要視され、豊臣政権下まで機能していたものと言われています。島全体が城塞化しているとも思えます。    ※海賊城(かいぞくじょう):中世の水軍の根拠地

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て作成しています。(承認番号 平25情使 第539号)
 
 
   沖島尾山城
沖島の中央部、標高210mのケンケン山(見景山)付近に築かれた城です
南側斜面に階段状の小曲輪群(小さな平削地)があり、その数は300以上とも言われています
近江源氏の落ち武者との関連があるのではないかとも考えられています
遺構等:曲輪、小曲輪、石垣、土橋
現状:山林+山頂・中腹、築城者・築城年:詳細不明、形式:山城(海賊城)
規模:東西:200mx南北500m、標高:210m/85m=125m
 

階段状小曲輪

階段状小曲輪石垣

小曲輪

土橋状尾根

曲輪跡(現在:お花見広場)

主郭跡(現在:ホオジロ広場)

主郭跡(ホオジロ広場)からの西側展望、中左奥:武奈ヶ岳、中右:リトル比良

頭山城址(奥津島神社)からの尾山城址

左:頭山城址、右上:尾山城址、
 
 
 沖島坊谷城
沖島の最高峰、標高220mの尾山(宝来ヶ嶽)付近に築かれた城です
南側斜面に曲輪(小さな平削地)があります
室町幕府8代将軍足利義政は湯谷ヶ谷(番所山)に
島民に湖上を行き交う船の監視と取締りを命じたとされます

遺構等:曲輪、小曲輪、石垣
現状:山林+山頂・中腹、築城者・築城年:詳細不明、形式:山城(海賊城)
規模:東西:500mx南北400m、標高:225m/85m=140m
 

山麓の石垣

湯谷ヶ谷(番所山近くの大石)

主曲輪跡(現在:三角点のある見晴広場)

主曲輪跡(現在:無原氏広場)、中央:伊崎山、中右奥:繖山(観音寺城址)

坊谷砦址(尾山最高所、現在:藪)
 
 
 沖島頭山城
沖島の西端、標高130mの頭山に築かれた城です
斜面に階段状の小曲輪群(小さな平削地)があります
南北朝時代には、戦いに敗れた南朝軍の一部が越前―新田義貞との連絡網を確保し、食料と軍備を建て直すために頭山一帯に城を構えたと伝えられています(蒲生郡史)、

遺構等:曲輪、石垣、土塁
現状:山林+山頂、築城者・築城年:詳細不明、形式:山城(海賊城)
規模:東西:200mx南北100m、標高:130m/85m=45m
 

奥津島神社(頭山の中腹にある)

奥津島神社からの東側展望、左奥:坊谷城址、中右:伊崎山

尾山城址登山道からの頭山城址

坊谷城址登山口からの頭山城址:中左