布施山 (ふせやま)
布施山
北 峰
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P217峰
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南 峰
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雪野山
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虎口に使われた石
撮影場所:八日市市蛇溝町、布施山から北東に約1.5km
ふせやまじょう
布施山城
別 名   遺構等 土塁、竪堀、平削地
地  域 25en:日野西部/北西NE   現 状 山林
Mapion 滋賀県八日市市稲垂町/布施町   築城者 布施氏
標  高 241m/120m=121m   築城年 室町時代
訪城日 2011年01月29日(曇)   形 式 山城
山悠々 布施山(玉緒山)   規 模 東西150mx南北150m
概要 佐々木六角氏の家臣の布施氏の居城。繖山の観音寺城の騒動時ここが攻防の舞台になりました。後、織田信長の近江進攻により落城。以降は廃城。
山頂に上下二段の郭あと。低い土塁で囲まれる。
布施氏は佐々木六角氏の家臣であり、本家筋といわれる布施三河守家と、布施淡路守家に分かれていた。布施山城の城主は布施三河守家であり、布施淡路守家の城は、東方5kmにある大森城。永禄6年(1563)に、六角氏被官の後藤氏が六角義弼に観音寺山城内で誅殺され、これに反発して家臣が自領へ引き上げた「観音寺騒動」が起きた際、永禄9年(1566)、布施氏は布施山城に拠って、浅井氏と呼応して六角氏に反旗を翻した。この騒動は、蒲生氏の調停によって収拾されたが、六角氏の権限を制限した「六角式目」が制定されました。
布施三河守は永禄11年(1568)の織田信長の近江侵攻の際、この城に籠もり戦いましたが敗れて廃城となりました。
副郭から虎口を眺める
小高く見えるのは主郭の土塁
主郭の虎口、石が散乱する
主郭の平坦地と周囲の土塁