ほしがさきじょう
星ヶ崎城
別 名 鏡山城
地理院
地図 
緯度:35.082754
経度:136.077209
Mapion 滋賀県竜王町鏡
/野洲市大篠原
標  高 220m/110m=110m
遺構等 石垣、曲輪
現 状 山林
築城者 佐々木氏旗頭鏡氏居城※1
築城年 不明※2
形 式 山城
規 模 東西200m
南北200m
佐々木氏の本城である観音寺城の支城として築城されたとされる。主郭部には緻密に積まれた石垣が残る。北側を通る東山道(後の中山道)を見晴らすことが出来る
星ヶ峰 (ほしがみね)
撮影場所:竜王町鏡地区、星ヶ峰から東に約0.7km
星ヶ峰
  ↓
中仙道
  ↓
※1滋賀県安土城郭調査研究所による「淡海の城」の解説による
※2地元郷土史会では鎌倉時代に鏡久綱が居城とあります
参考:鎌倉幕府滅亡1333年
広義の室町時代1338-1573年
八幡神社跡・星ヶ峯城址
山頂に向かって約100m、旧い参道を辿ると、八幡神社の旧跡に至ります。さらに、約100mで星ヶ峰山頂の星ヶ峯城址に至る。八幡神社は、小字出町の人々の信仰を受けていたが、明治44年に大笹原神社に合祀された。しかし、宮跡では、今も出町の人々がお祀りしています。
星ヶ峯城は、鎌倉時代、鏡久綱の居城で星ヶ崎城と称した。承久の乱で鏡氏は滅び、その後、馬淵氏、そして六角義賢が城主となりました。その頃から、星ヶ峯城と呼ぶようになった。戦国時代、織田信長に敗れ、現在残礎の石垣を残すのみで、頂上には竜王町による「星ヶ崎城址」という高さ約2mの石碑が建っています。
(野洲市大篠原自治会
        大篠原郷土史会
           登山口看板)
旧東山道(旧中山道、国道8号)側の
星ヶ崎城址登山口
竜王かがみの里道の駅の南西にある星ヶ崎城址登山口
西光寺跡の旧跡を経て山頂に至ります
繖 山
観音寺城址
 ↓
安土山
安土城址
    ↓
伊庭山/瓜生山
 ↓
伊吹山
 ↓
霊仙山
 ↓
瓶割山
長光寺城址
 ↓
岩倉山
  ↓
御池岳
  ↓
荒神山
 ↓
←鏡山北尾根
鏡 久綱
鎌倉時代の武将。佐々木定重の子。承久(じょうきゅう)の乱では
(鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱)、後鳥羽上皇方の藤原秀康の軍に属し、美濃(岐阜県)摩免戸(まめど)で北条泰時のひきいる幕府の大軍に対抗。秀康軍がたたかわずして敗走するなか、幕府方の大江佐房(すけふさ)と戦って敗れ、承久3年6月6日自刃したため家系は絶えた。京極宗氏の子貞氏が鏡氏の名跡を継ぎ、鏡氏は以後代々佐々木氏の旗頭を勤めた。
                           (wikipedia、他)
主郭の南側にある石版

意図的に加工された石版です
その前方には穴窪があります
用途はわかりませんが
気になる築造物です・・・・
西側石垣を南側から眺める
西側石垣を北側から眺める
星ヶ崎城址
星ヶ崎城址は、鏡山から派生する丘陵先端尾根頂上に位置し、長さ35m、高さ1〜2mで、3〜5段の石垣と、反対側に少しの石垣が尾根の南西上部に残っています。周囲の地形状況から、この石垣が残っているところは、城の「主郭」部分にあたり、規模は現状から、幅約20mx縦約35mと推測されています。
(竜王町教育委員会:現地看板)
主郭の南端から
一段下がった郭跡
上部下段郭跡の側面を
西側から眺めています
主郭跡に立つ「星ヶ崎城址」の石碑
星ヶ崎城址:星ヶ峰山頂(標高:220m)から、樹間からの北側展望
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