のだやま ルート 公民館(09:05)〜百々登山口〜八幡神社
〜北峰・西尾根分岐・中峰〜野田山頂上(11:50)
〜西尾根分岐〜名神トンネル〜公民館(13:50)
野田山2009 シュミレーション
地  域 25zn:彦根東部/南西S 概要 野田山は、彦根東部山塊の南西側に張り出します。山麓には、名神高速道路が山裾を縫い、東海道新幹線・旧中山道・国道8号が山麓西部を通る古来よりの要衝です。今回の登山口とした百々地区は、野田山の北西部に当たり、登山道としての道は存在せず、杣道や獣道を使います。ルートは、百々地区の八幡神社(本照寺跡、丸山城址)から高圧鉄塔巡視路を伝い、尾根伝いに昇降を繰り返しながら、北峰・西尾根分岐・中峰を経て野田山頂上に至ります。復路は、中峰・西尾根分岐から小野登山口に進み、名神#17トンネルを経て駐車場に戻ります。稜線の一部では、佐和山三山や男鬼山・鍋尻山をはじめ、伊吹山などが望遠できます。小野町からの林道は、関係者以外進入禁止の表示がありますので、特に山菜の時期などには、立ち入らない配慮が必要です。視界や蛇・昆虫等の対策を考慮すると、入山時期は冬期がお勧めです。
Mapion 滋賀県彦根市
標  高 364m/110m=254m
距  離 約8.0km、斜度:max27°
体力度 35P、☆☆
山行日 2009.02.03、(曇/雨)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要04:45/歩行03:45
アクセス 自家用車、00:10
備  考 尾根道:一部軽ブッシュ
ルート・シュミレーション はこちらから
撮影日:2009.02.03

01 ウメの花
02 ウメの花
03 ウメの蕾
佐和山東山麓からの野田山山容、撮影:2009.02.04
 
百々山
野田山中峰
野田山北峰
      ↓
西尾根
 ↓
   ↑
百々山南峰
 (仮称)
 
茶臼山
(仮称)
イワス
 ↓
イブキ
 ↓
男鬼山
 ↓
向山(芹川北)
      ↓
      
名神索道ガード
イワス
 ↓
イブキ
 ↓
#04鉄塔峰
   ↓
300峰
  ↓
比婆之山
    ↓
アミダ峰
  ↓
向山(芹川南)
    ↓
224峰
 ↓
13:50 鳥居本地区公民館 駐車場到着
猿の行進、公民館への帰途、住宅団地のはずれでのできごと・・・・
然る者(サルもの)
  ぬけめのない者
  したたかな者
  「敵も―」    (広辞苑)
然る者は知恵者:猿の軍団に遭遇しました
よくみると口に赤い何かをくわえているようです
手に持っているのもニンジンではないかと・・・・
#01鉄塔/百々山頂上/丸山城址
 ↓
#02高圧鉄塔
   ↓
イブキ
 ↓
イワス
    ↑
百々登山口
名神高速道路→
茶臼山(ちゃうすやま)が、この地の地名なのか近くの山のことを指すのか確認できていません。この近くに「郷士(ごうし)の墓」がある旨の標識ですが、トンネルを潜り、探索をしたのですが見つけることができませんでした。なお、便宜上近くの山を茶臼山(仮称)としました
#01鉄塔/百々山
   ↓
名神トンネル#20からの野田山西尾根
13:25 茶臼山口、名神トンネル#21
#13鉄塔
 ↓
イワス(石灰石鉱山)から彦根市街地にあるセメント工場に搬送する索道ルートの想像図
佐和山山頂(標高232m)からの野田山山容、(撮影:2008.01.27)
     ↑
セメント会社工場跡地
       ↑
現ゴルフ場尾根
      ↑↑
名神ガード/新幹線ガード
        ↑
北尾根架台位置
イワス(原石山)
       ↓
中 峰
 ↓
北 峰
 ↓
野田山頂上(中峰の奥:見えません)
西尾根(手前の尾根)
 ↓
名神用ガード
 ↓
新幹線用ガード
      ↓
編集子が彦根の地に居を構えたのが昭和54年
その時索道はすでにありませんでした・・・・
13:15 名神トンネル#17西口、標高120m
名神高速道路用 索道ガード
名神高速道路→
←名神トンネル
西尾根
 ↓
小野登山口、標高:130m
#12〜#11高圧鉄塔の中間からの北西側展望
#01鉄塔
 ↓
佐和山
 ↓
#12〜#11高圧鉄塔の中間からの東側展望
 ↑
#13鉄塔
300峰
  ↓
北峰(338m)
    ↓
中支尾根分岐
  ↓
中峰(350m)
   ↓
西尾根分岐
   ↓ 
男鬼山
  ↓
イワス
 ↓
佐和山
 ↓
弁天山
  ↓
大洞山
  ↓
物生山
  ↓
#03鉄塔
 ↓
百々山南峰(仮称)
 ↓
茶臼山(仮称)
     ↓
224峰
 ↓
#04鉄塔
     ↓
物生山
  ↓
#12高圧鉄塔からの北西側展望
12:30 #13高圧鉄塔からの北西側展望、標高:230m
#03鉄塔
 ↓
百々山南峰(仮称)
     ↓
茶臼山(仮称)
     ↓
佐和山
 ↓
佐和山
 ↓
弁天山
 ↓
大洞山
 ↓
物生山
 ↓
#03鉄塔
 ↓
百々山南峰(仮称)
 ↓
茶臼山(仮称)
     ↓
中峰から野田山町上への尾根道は崩落地があり
この日は節分(立春の前日)、昼食に太巻き寿司を持参
今年の恵方は東北東、山行の安全を祈ってまるかぶりしました
男鬼山方向
 ↓
イワス(原石山)にある鉱山から、採掘された石灰岩の原石を、佐和山近くにあるセメント工場(現在商業施設等に転用)に搬送するための索道が設置されていました。ここはその架台設置跡
←野田山頂上
佐和山方向
  ↓
イブキ
  ↓
イワス方向
  ↓
向山(芹川北)
      ↓
男鬼山
 ↓
#04鉄塔峰
  ↓
向山(芹川北)
      ↓
 
300峰
男鬼山
  ↓
224峰
  ↓
野田山中峰
(奥の峰)   
  ↓
#03高圧鉄塔からの北側展望
#03高圧鉄塔からの西側展望
     ↑
百々山南峰(仮称)
 
#01鉄塔、百々山
佐和山
   ↓
ゴルフ場
 ↓
   ↑
茶臼山(仮称)
物生山
 ↓
エレベータ会社タワー
   ↓
    ↑
#02鉄塔
#03高圧鉄塔からの南側展望
野田山中峰
    ↓ 
西尾根
(奥の尾根)
  ↓
09:35 #03高圧鉄塔、標高:190m
百々山南峰(仮称)
      ↓
丸山城址(丹羽砦)
元亀元年(1570)の姉川の合戦後、信長が佐和山城に対し、監視の目的のために築いた四つの付城のひとつで、東の付城と伝えられています
#01鉄塔の付近が主郭の跡ではないかといわれています
09:25 #01高圧鉄塔、標高:150m
佐和山
 ↓
弁天山
  ↓
大洞山
 ↓
物生山
 ↓
戦国期、百々氏の祖の百々盛通が当地に居住
天台宗の百々山本照寺が盛通の菩提寺と伝わりますが、信長の戦火により本照寺は絶え
その後、本尊を奥の別院に隠し、境内に八幡宮を建て、表向き八幡社としながら本照寺持仏堂として守られてきたと伝えられています
09:20 八幡神社
百々地区は、室町時代後期から戦国期にかけ京極氏に仕えた百々氏が本拠としたところです
09:15 百々登山口、標高:110m
09:05 鳥居本地区公民館 駐車場出発
野田山山麓にて
(滋賀県彦根市)
山里の彩り:3枚
佐和山城址煙硝蔵跡地からの百々山展望(東側)、撮影:2008.01.27
百々山北側山麓からの山容(撮影:2009.02.04)
↑北峰/中峰↓
←小野長分岐
中峰
北峰
 ↓
中支尾根からの北側展望、標高:300m
#04高圧鉄塔からの北側展望
10:15 #04高圧鉄塔、標高:290m
#03高圧鉄塔上部見晴場からの南側展望
午後から雨の予報のためホームグラウンドを歩くことにしました。展望は良くなかったのですが、再発見や遭遇などがあり・・・・
 
百々山
 
百々山南峰
 
茶臼山
百々山西登山口を経て神社へ
竹薮の中をすすんでゆきます
13:40 百々登山口、標高:110m
名神側道から索道ガードを見返る
尾根にある索道架台跡を見るまで、この工作物の用途が何であるのか知りませんでした
東海道新幹線用 索道ガード
名神トンネル#17東口
13:10 小野登山口から東側展望
#12高圧鉄塔からの北西側展望(天気がよければこのように・・・・)、撮影:2006.12.11
#12高圧鉄塔からの北側展望
 ↑
東海道新幹線
※峰の呼称は
編集子が編集の便宜上つけました

これで呼ばれているわけではありません
12:15 小野町分岐/西尾根、標高:330m
#13高圧鉄塔からの北側展望
12:10 中峰、標高:350m
↓野田山頂上/西尾根分岐→
野田山頂上から中峰への尾根道は崩落地あり
11:50 野田山頂上、標高:364m
     展望はありません
野田山山頂からの北側展望
野田山の山頂は目前
11:25 中峰、標高:350m
中峰からの東北東側展望
イワス(原石山)鉱山は昭和33年に開発開始
昭和34年に操業開始
昭和41年に大手セメント会社と合併
昭和45年前後(年不明)、鉱山閉鎖、索道撤去
平成8年にセメント工場閉鎖
  ↑
登山口
11:00 鉱山搬送索道架台跡:東側(イワス側)
       標高:280m
鉱山搬送索道架台跡:西側(佐和山工場側)
#02高圧鉄塔からの北側展望、標高:170m
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山聲-TOP
山悠遊-滋賀北鈴鹿