うすきせきぶつ ルート 駐車場〜ホキ石仏第二群〜ホキ石仏第一群
〜山王山石仏群〜五輪塔〜古園石仏群〜P
臼杵石仏
地  域 44:臼杵/南西SW 概要 臼杵磨崖仏は、4群60余体の磨崖仏です。「臼杵石仏」の名で知られ、昭和27年(1952)、国の特別史跡に指定、平成7年(1995)には国宝に指定されました。磨崖仏としては日本最初、彫刻としては九州初の国宝指定です。仏像の様式などから大部分は平安時代後期、一部は鎌倉時代の作と推定されています。阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、風雨にさらされ続け風化が激しかったが、上屋の設置など保存に力が注がれています。付近は公園整備がされています。少し離れた場所に計3基の五輪塔があります。いずれも1つの石を削って五輪塔全体を刻み出した珍しい様式で、一基は山王山石仏横の急な山道を上った所にあり、さらに山中を進むと、大小2基の石塔。大きい方は嘉応2年(1170)、小さい方は承安2年(1172)の銘があり、日本で最も古い五輪塔の1つと言われています。国の重要文化財、特別史跡の「附」指定。
Mapion 大分県臼杵市深田
標  高
距  離
体力度 ―、☆
山行日 2010.03.24、(雨)
形  態 前後泊、3名
時  間
アクセス 自家用車、13:00(高速)
備  考 特に問題なし
山悠遊-大分/臼杵
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山聲-TOP
     ↑
ホキ第一石仏群
    
ホキ第二石仏群
      ↑
山王山石仏
 
古園石仏
山中に国指定
    五輪塔
       ↓
山中に県指定
五輪塔
  ↓
石仏群の位置
しぐるるや 石を刻んで 仏となす (山頭火)

小雨がそぼ降る中、石仏の里にやってきました。
なぜこんな所に、こんなに沢山の石仏があるのでしょうか。不信心な編集子には分るべくもありませんが、ひたむきな人々の信仰の証であろうことは、想像に硬くありません。信仰の対象として崇めるのか、芸術品として観賞するのか、各々の価値観によってさまざまな接し方があるのでしょう。いずれにしても、千年以上もの時空を越えて存在している事実は、それだけで畏敬の念を抱くに値するということでしょうか・・・・
ホキ第二石仏群
ホキ第二石仏群の上屋
鎌倉時代の上屋の礎石と伝えられています
石仏が作り出された時代からあるということになります
阿弥陀三尊像(平安後期頃の作)
阿弥陀三尊像の左側から
九品(くぼん)の弥陀像(平安末期の作)
三尊像を含め
九品(くぼん)の弥陀像の左側から
中尊阿弥陀如来像のアップ
磨崖仏の右側面
ホキ第一石仏群
如来三尊像:第一龕(平安末期頃の作)
如来三尊像:第二龕(平安末期頃の作)
如来三尊像:第二龕アップ
地蔵十王像:第四龕(鎌倉期の作)
 向背の彩色唐草紋が残っています
ホキ第一石仏群の上屋
如来三尊像:第三龕(平安)末期頃の作
左 如来三尊像:第三龕
右 地蔵十王像:第四龕
如来三尊像:第一龕アップ
山王山(さんのうざん)石仏
中尊:伝釈迦如来像アップ
左脇尊:阿弥陀如来像アップ
右脇尊:伝薬師如来像アップ
三尊像(平安後期頃の作)
三尊像を左側から
山王山石仏の上屋
※ホキとは「崖險(がけ)」という意味の地名です
古園(ふるぞの)石仏
古園石仏の上屋
中尊:大日如来坐像アップ
以前には仏頭が落ちていましたが修復されました
左脇像:六尊
右脇像:六尊
右側面から
左側面から
全景:(平安後期頃の作)
アプローチ
五輪塔
※五大にかたどった五つの部分(空風地火水)からなる塔
  石造が多く、平安中期頃から供養塔・墓塔として用いられた
五輪塔:二基 国指定重文
五輪塔:一基 大分県指定文化財
凝灰岩でできており、平安末期から鎌倉時代初期頃の作。地輪の部分が地中に埋まっています
空輪・風輪部分は欠損している総高約151cm
地輪歩北面部に嘉応弐年(1170)の刻銘
総高104cm
地輪北面部に承安二年(1172)の刻銘
古園石仏からの風景
山麓は公園として整備されています
※龕(がん)は仏像を納める厨子の意