おかじょうし ルート 岡城址
岡城址
地  域 44:竹田/北西W 概要 岡城は、別名:臥牛城(がぎゅうじょう)、豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)とも呼ばれる山城です。伝承では、文治元年(1185)に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが初めであると伝えられています。その山城は、南北朝時代の建武元年(1334)に、後醍醐天皇の支持を受けた大友氏一族の志賀貞朝によって拡張され、岡城と名付けられたとされています。明治維新後、廃城令によって廃城とされ、明治4年(1871)から翌年にかけて城内の建造物は全て破却され、現在残っているのは高く積み上げられた石垣のみです。昭和11年、「岡城址」として国の史跡に指定され、日本100名城(95番)に選定されました。「荒城の月」の作曲者の瀧廉太郎は、幼少期を竹田で過ごしており、この岡城にて曲のイメージを得たといわれていることから、城址には、瀧廉太郎の銅像が、遠方の山並みを眺められるところに建てられています。
Mapion 大分県竹田市
標  高
距  離
体力度 ―、Θ
山行日 2010.03.24、(雨)
形  態 日帰自、3名
時  間
アクセス 自家用車、13:30
備  考 特に問題なし
山悠遊-大分/竹田
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山聲-TOP
岡城は瀧廉太郎作曲の「荒城の月」のイメージで、石垣が印象に残っているだけで、これまで知識として持ち合わせていませんでした。城郭の規模とその険阻な立地ににおどろきました。さすが100名城のひとつ・・・・
岡城の登城口、石碑が立つ
前方にそびえている石垣は大手門址
大手門への階段
大手門前の坂道
大手門の石垣
古大手門址
東門址の階段
東門址、西の丸御殿の石垣
東門址の階段
西の丸御殿址
家老屋敷(民部)址
井戸
西の丸北側石垣、井戸
家老屋敷(民部)址から近戸門方向を見る
家老屋敷(民部)址
近戸門址内側
近戸門址外側
近戸門内側から西の丸御殿址を見る
普請方址から家老屋敷(覚左衛門)址
   平面復元を見る
家老屋敷(覚左衛門)址から本丸方向を見る
家老屋敷(但見)石垣から上代屋敷址の北側石垣
上代屋敷址石垣から籾倉址方向の石垣
籾倉址の石垣
太鼓櫓址
三の丸から本丸の石垣
三の丸の空井戸
本丸址
二の丸の北側石垣から西の丸方向
下の谷は清水谷
本丸の北側石垣
御金倉址
御金倉址から東曲輪
御金倉址
二の丸の北側石垣から西の丸方向
二の丸にある瀧廉太郎の銅像
朱印状倉址
帰路:大手門址内側
帰路:大手門前の石垣
帰路:登城口
岡城の石垣、奥にそびえるのは大手門の石垣
岡城址 縄張り図のうち、本丸・西の丸部分 (入城時に受領した観光パンフレットより)